「ぼくらの」
「ぼくらの」という漫画を読んだ。アニメの方は観てないが、少なくとも原作はなかなか良くできている。
が、設定もストーリーも少々過激で、ブログ化するかどうかずいぶん悩んだ。(そんなことで悩むなとつっこむべからず。まあ、実名も立場も公開しているブログなので、それなりに気をつかって書いているのだ…)
私は基本的にお涙頂戴物が嫌いだ。特に登場人物が死ぬ話が嫌いだ。そもそも「死」は、ストーリー、プロットに関わりなく悲しいものに決まっていて、登場人物に感情移入させておきながら、その人物を物語から退場させれば、読者は誰だって喪失感を感じるものだ。つまり、たとえそのストーリーで泣かされたとしても、なんだかその涙は空々しいものと感じる。
「ぼくらの」という漫画は、ググってみればわかるが基本設定はそういう漫画なので、登場人物が次々退場していく。それなら何でブログ化しているのかというと、その中のいくつかのエピソードが本当に良くできていると思うからだ。単なる喪失の物語に終わっていない。
(ここからネタバレ注意)
お勧めは単行本の6~7巻のエピソードだ。そのエピソードの登場人物の女の子は、ある事情でピアノを弾くことになる。その演奏の出来いかんによって大勢の人々が命を失うかも知れないという差し迫った状況だ。
その女の子は、見も知らぬ大勢の人々のために自分の命を賭してピアノを弾こうとする。しかし、演奏する指は鍵盤を走らず、次第に彼女は追い詰められていく。
しかし、絶望的な状況にありながら、むしろそれ故に彼女はそのすべてを自分の運命として受け入れる。悲しい出来事も、楽しい出来事も、たわいもない日常の風景も、友達も、思い出も、自分の身の回りの全てとのつながりを感じ、その中で生きていることの充実感を得る。ピアノを演奏しながら、自らの弾くピアノの音を聞くことによって現実を明視し、その中で生きている自分の姿に、「多幸」を感じるのだ。
ここからはおまけ話だが、似たような感覚をどこかで味わったことがあると思い、しばらく考えているうちに本年度のアカデミー作品賞候補にもなっている「ツリー・オブ・ライフ」に思い当たった。
「ぼくらの」で演奏されているラヴェルのソナチネをiTunesで落として聴いてみたところが、その雰囲気が「ツリー・オブ・ライフ」で印象的に使われているスメタナのモルダウの、主旋律が始まる直前の部分に似ている。木の間からちらちらとこぼれる陽の光のような、川面のさざめきに細かな光が乱れ踊るような…。
「誰かのため」という生き方は現代においても力を失っていない。しかしこの現代社会においては、その言葉はそれぞれの心の奥の方に沈み込んでしまっていて、本当の力が発現されにくくなっている。
自分の身の回りをただありのまま見つめてみること、そんなたわいもないものこそが、眠っていた様々な価値を心の奥から呼び起こすことにつながる、そう思わせてくれる。
追記
で、また妄想だが、「ツリー・オブ・ライフ」の監督のテレンス・マリックは、「ぼくらの」を読んでいるのではないかと。足かけ5年以上の月日をかけた制作期間の途中で、大幅な脚本変更があったらしい。「ぼくらの」のそのエピソードが書かれた2007年頃はその時期にタイミングが合っているような気がする。ジャパニーズマンガにはそのくらいの影響力がありそうな気がするのだが…^^;


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