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2006年8月27日 (日)

「現象学」について(戯言その1)

 これまた脈絡もなく、日頃考えていることなど語ってみる。「現象学」なんて書いているが、正直ほんとに理解できているのか分からない。「現象学っぽい」考え方といった方が正確かも知れない。まあ、日記なんだから、好き勝手書くつもりだ。まず日常ふと考えてしまう素朴な疑問から。「現実」って一体なんだろうか。たとえば「現在」という瞬間は、それこそこの瞬間だけの話であって、あっという間に過ぎ去って、「過去」になってしまう。ところで1秒前の出来事でも、1年前の出来事でもどちらも過ぎ去ってしまっている点では変わりはないのに、なぜか1秒前の出来事は「現在」の一部のような感覚が我々の日常にある。1年前の出来事は、実際記憶の中でセピア色になってしまっているはずだ。なぜ1秒前の出来事は「現在」なのに、1年前は「過去」なのだろうか。考えてみれば、「過去」は過ぎ去ってしまっているのだから記憶の中にしか存在しない。「未来」は自分の想像の中にしか存在しない。我々は今この目の前に実在している「現在」という薄っぺらな一瞬に、記憶やら想像やらをこてこて張り付けて「現実」と思いこんでいるのである。我々が経験したことを一瞬のうちに忘れてしまう動物だとしたら「現実」は果たして今のような感覚の「現実」でいられるのだろうか…。で、たぶん続きを書くのだが、いつになるかは本人にもわからない。(これの続きが本ブログのカテゴリ「戯言解説」でご覧になれます。そちらもどうぞ。論文本体もよろしく→「『自己認識』を促す国語教育の研究」)

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