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2006年8月30日 (水)

「現象学」について(戯言その2)

(前回の続き)前回1秒前は「現在」なのに、1年前は「過去」になると書いた。同じ過ぎ去って目の前には存在しない時間なのに、何だか不平等である。なぜそのような違いが生まれるのか。我々は世界全体を心の中にとどめておくことはできない。自分が生まれてこのかた経験してきたことを全て意識上にとどめておくことができる人物がいるとしたら、まあそれは神様レベルだ。目の前の「現実」を理解するのに必要な部分だけを心の奥の方から取り出してきて、目の前に瞬間に実在する「現在」に粘土で肉付けするように貼り付けていく。そして何だか時間が流れているような感覚を我々に与える。1秒前は1年前より「現在」に近いために、「現在」を肉付けする粘土の材料として使いやすいわけだ。この辺はコンピューターの処理の仕方と似ている。長期記憶(ハードディスク)から、「現実」理解に必要な情報だけ取り出して、意識上(メモリー)で3D映像やらなんやらに仕立て上げる訳だ。(たぶんこの辺りは「現象学」というより「認知心理学」の領域なんだろうが…)ところで、もしここまで書いてきたことが本当なら、人はその瞬間毎に何だか脳みその中で大変な作業をやっているように読んだ人は感じるだろう。「俺はそんなに力んで生きてないぞ~。」と笑ってしまうかも知れない。人は「現実」を理解する上で何かの手抜きをやっているはずだ。その瞬間毎に「現在」に貼り付けるための粘土の材料を心の中から探したりしていたら、脳みそがオーバーヒートしてしまうはずだ。(たぶん戯言は続く…)

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