« 単なる近況報告です | トップページ | 知ること(聞くこと)について »

2008年4月28日 (月)

「I was born」 -そういうものなのだということ-

 前に『詩の楽しみ』という吉野弘さんの本について記事を書いた。すると私の教え子らしい人物から吉野弘さんの「I was born」という詩についての次のようなコメントがついた。

「僕は、生まれさせられた命は死んでいく命の為にも生きるという形として存在しなければならないのだ、ということを暗示しているのではないのかなと思いました。」

 私はこのコメントに、「『存在しなければならない』というより『そういうものなんだ』という感じがします。」と返事を書いた。これは私の体験から来る実感だった。

 若い頃『自由からの逃走』に出会った後、私が次に手をつけたのはフロイトの『精神分析学入門』だった。アイデンティティの混乱状態を抜け出すための足がかりにするつもりだったが、いきなりフロイトにこんな言葉で出迎えられた。

「この書物になにか宗教に対するもののような救いを求めてはいけない。この本は単に心の仕組みについて語っているだけであって、それ以上のものを期待する人物は他の書物をあたるがよかろう。」(記憶に頼ってますので正確ではないかもしれません)

 こいつは読者の心がわかるのかといきなり度肝を抜かれたが、まあそういわずと苦笑しながら読み進めていった。たしかにその本には「こう生きるべきだ」というような人生の指針は何も書いていなかった。ところが、本を読み終わり、単に「心の仕組み」を知るだけで、不思議なことに私の心は軽くなった。ただ「知る」だけで、「生きる力」のようなものを手に入れることができたのだ。少なくとも若い私はそう感じた。

 この時の体験は現在に至るまで、私の考え方に影響を与え続けている。「自己認識」というわたしのちっぽけなライフワークも、ただ「知る」というシンプルな行為の奥にあるものを信じる気持ちからきている。

 「しなければならない」ことはない、ただ「そういうものなのだ」と知るだけでいい。

|

« 単なる近況報告です | トップページ | 知ること(聞くこと)について »

修士論文「『自己認識』を促す国語教育の研究」戯言解説」カテゴリの記事

学問・資格」カテゴリの記事

心と体」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 単なる近況報告です | トップページ | 知ること(聞くこと)について »