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2008年5月18日 (日)

構造主義哲学?

 「『自由』と『平等』という二つの言葉はどんな関係にあるか?」

 若い頃、国語の授業で時間が余った時に、頭の体操代わりにこんな質問を生徒にすることがあった。すると○×さんが「先生、『自由』と『平等』って同じものなんじゃないですか??」と答えた。

「ふーむ、本当にそうかな。それでは一つずつ言葉の意味を考えてみるか。『自由』ってのは、人がそれぞれ個性をもって自分の思うままに生きることだよね。つまり一人一人が違っているということだ。それに対して『平等』ってのは、みんなが同じ状態にあることを意味してるよね。となると、この二つの言葉は全く反対の、しかも相容れない考え方だということになる。」

 生徒は全員ぽかんとしている。憲法の条文にもすぐ側に並んで使われるような言葉が、見方によっては全く反対の意味になるとは考えてもみなかったのだろう。熊男は続ける。(だいたいしゃべり出すと止まらないのだ。茨木のり子さんも教員は千の言葉で自分の思いを語れと言っているし…と言い訳^^;)。

「ところが、もちろんこの二つは矛盾なんかしていないし、むしろ同じことの違う面について表現している。例えば『平等』であろうとしても、地球上の人がみんな同じ環境で同じ動作をすることなんかできないから、見かけだけ『平等』にしようとするとそれぞれの状況の違いが影響して、かえって『不平等』になってしまう。」

「だから一人一人が常に『自由』に動き回れるような状態でなければ『平等』な状態を保つことなどできない。逆に『自由』に何かをするためにはみんなに『平等』に権利が与えられてなければならない。つまり『平等』な状態を保つためには『自由』が必要だし、『自由』に生きるためには『平等』が必要なんだよ。だから実は○×さんが言ったことは正解なんだ。矛盾しているように見えることが一つの考え方の別のいい表し方であるなんておもしろいと思わない?」

 かなり無茶な論法ではあるが、若い私の話を生徒達はおもしろそうに聞いてくれていた。
 今でも、個性的であればあるほど、それはまるでパズルのパーツのように社会という全体の構造を支えるのだと信じている。その社会を生きる人一人一人が、自分や他人の「個性」というパーツが組み合わされる様子を、マクロ的な視点でイメージできるかどうかがポイントだろうが。

追記 そんな仙人みたいなこたぁ はなっから無理か…^^;

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