「他者」
(前の記事の続き)そう考えると、やはり「他者」というのは全く感覚的にも不可思議な存在だ。それぞれが周囲の事物をよりしろに「過去」と「現実」を構成しながら生きている。しかも、それぞれの内面をお互いに知ることはできない。異なる小宇宙がひしめき合いながら往来を行き来しているようなものだ。価値の多様化から、言葉さえも確実性を失った現代においては、「他者」はいよいよ「自分」にとって異質な存在だ。相互主観さえも現実認識の核としての機能を低下させつつあり、本来「現実」を一緒に創っていたはずの「他者」が、逆に「現実」を不安定にしているとさえいえる。だから一人で部屋に閉じこもっていた方がむしろ安定を感じるなどといった事態に陥る。
しかし、だからこそ身近な他者の存在が大事になりつつあるともいえる。もちろん、身近な他者も「異なる小宇宙」を持っている。前にも書いたが、「誰かのため」といった関わり方は、自分の持っている「宇宙」か、相手の持っている「宇宙」かのどちらかを打ち消すように働く。それは「依存関係」と呼ぶべきものだ。依存関係はそれに属する者の「閉じた世界」しか生まない。それでは結局一人でいることと変わりない。二人になった分、見かけの強度は増すだろうが…。(そういえばロード・オブ・ザ・リングの監督の出世作は、依存関係のあげく「二人だけの幻想世界」を作り上げた子供達の話だったと記憶している。かなり怖い話だったので全くお勧めではない。)いじめをつくりだす「集団心理」も、依存関係による「閉じた世界」の典型的なパターンだろう。熊男の最も嫌いなもののひとつだが。
それぞれの「異なる宇宙」を保ったまま、それをお互いに観察可能な状態にしておくことが理想なのだろう。相違点を上手く利用して、多角的に「現実」を認識することが可能になる。しかし、それにはそれぞれの相違点を互いに確認することができるような心理的距離が必要になってくる。いわば、授業中に不明な点とか聞き漏らしがあったときに、隣の生徒のノートをひょいとのぞき込むようなものだ。ノートが異なるからこそ、のぞく意味もある。「つかず離れず」とはよく言ったものだ。恋愛もそういうものであるにちがいない。(うーむ、この年で独身をやっている熊男が偉そうに語る話じゃないな^^; いやそういう関係を築いている方がうらやましいだけですよ、ははは。)
追記
「身近な他者」を利用せずに、「現実」に対して安定した認識をする方法ももちろんあります。それは仙人になることです^^; いや、決してわたしゃー仙人になんかなりたいわけではありません。本当に。
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