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2009年2月22日 (日)

人と話すこと

 誰かと会話する時、一番難しいのは互いに会話できる距離に数名以上いるときである。数名以上というのは文字通り数名程度の話であって、相手が数十人ということになるとこれは最初から日常的な意味での「会話」は不可能になる。意志の伝達が双方向からキャッチボールのようにスムースに行われるごく日常的な会話の話だ。(数十名以上が参加する「授業」でも、日常の会話レベルでの他者との関わりが必要だ、などといった理想論を論ずるのはまた別の機会としたい。)

 例えば誰かを好きになったとする。(「例え話」に偏りがあるのではないかなどとつっこんではならない。恋話は日常的でわかりやすいので多用しているだけだ。)
 好きな相手と話をしながら何とかこっちの気持ちを理解してもらおうとするわけだが、これがそう簡単なことではない。人の心は実に単純にその場の状況に影響を受ける。受け取る言葉も、発する言葉も、その場にいる第三者の重力によって様々なカーブを描く。相手の言葉をキャッチすることも、相手のミットに投げ込むことも実際簡単なことではない。

 10年ぐらい前にカウンセリングに興味を持ち、知り合いに勧められて上智大学に当時あったカウンセリング研究所の3泊4日の研修会に2回参加した。クライエントを演ずる人を中心に車座になり、彼の言葉を観察する訓練をした。クライエント役が話し終わった後に、聞き取った言葉を研修者一人一人が全員の前で報告する。この時ほとんどの研修者が、「ほんとうにそんなことを言ってたのっ?それはあなたが勝手にそう思っているだけじゃないのっ!」と教官に徹底的にしごかれる。

 実際人は、身の回りの現実を、様々なフィルターを通して受け止めている。そのフィルターは自分の心の中にもあり、また時にはその場のコンテクスト、特にその場に居合わせた人の心を借りてきて、その場だけのフィルターを創り出す。つまり横目で他者の視線を気にしながら会話する。それを意識化できていない場合、コミュニケーションが成立するはずがない。失恋は必至であろう。
 またたとえ他者の影響を意識化できていても、恋愛やその他の、人と人とのぎりぎりの関わり合いにおいては、その場にいる他者の影響を完全に排除して相手の言葉を「ありのまま」受け止めるのは実際困難であろう。

 だから私は会話するときは一対一が好きだ。一対一で話をするときには、体全体で相手の言葉を受け止めようとする。家庭訪問とかに行っても、大抵保護者の皆さんと一対一で話をする。一人分の人格を受け止めるのには一人分の人格が必要などといった理屈は、単純な引き算の問題だ。

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