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2009年2月21日 (土)

なぜ「卵」にひかれるのか?

 私と同じ事を考えた人は多かったようで、ネット上のあちこちのブログやホームページで、村上春樹さんのスピーチを正確に再現しようとする試みがなされていたようだ。あれこれ読ませていただいたが本当に参考になった。スピーチを聞いた人が、聞いた人の立場なりに解釈できるように、意識的に言葉に「隙間」を作っていたようにも思う。

 「壁」は比喩としてはありきたりである。「卵」は、「教師の卵」というようなどちらかといえばプラスイメージの比喩としてはよく使われるが、「壁に投げつけられて割れるもの」「弱いもの」というような意味では普通は使われない。村上春樹さんはわざとそのように比喩の深度に差を付けていたのではないかとも思う。「壁」は問題ではないのだ、まず「卵」一つ一つを、一人一人の心を見つめようと。それで朝のニュースのほんの十数秒程度の情報のなかで、特にその単語に心を揺さぶられたのではないかと今では思う。

 「たとえその存在が正しくなくても、私は常に卵の側に立つ。」という言葉に、共感した人も多いだろう。彼の言葉は、「作家」のそれとして常に多数派に背を向けながら、それでいて人々の思いの真ん中にある。

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