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2009年4月13日 (月)

「劇的なる日本人」

 タイトルのような題名の教材を、かなり前に授業したことがある。著者は山崎正和さんである。内容は大体以下のようなものだ(ったと記憶している)。

「日本人は『八百万の神』に象徴されるように、歴史上、絶対的な存在を精神的な背景として持たなかった。だから日本人にとって、自己の存在を証明できるのは唯一他者の視線のみであり、それは全く予測不可能な相手であり、ある意味常に絶望と向かい合いながら『劇的に』生きてきたといえる。」

 本当は世阿弥の思想などにも言及した格調高い文章であり、ここまで端折ってしまうと、元の文章の「熱」は伝わらないかも知れない。ともあれ若い頃の私はこの文章を国語の授業で「熱」っぽく語っていた。

 しかし本当の意味でこの「劇的さ」を理解し始めたのは、この5年ほどかも知れない。予測不可能な「他者の視線」という「運命」に対し、それを無視するでなく、それに媚びるわけでなく、真っ向から対峙することの心地よさ。ともすれば自分を押し流そうとする「可能性」という激流の中で、笑みを浮かべて波を渡る。自分が生きて考えて、そしてあえぎながらも泳いでいるこの瞬間だけが、唯一の真実なのだ。

 ところで、ひょんなことから山崎さんの文章をまた授業させていただくことになった。今年はこれから丸山圭三郎さんの文章から始まって、安部公房さん、そして山崎正和さんと、恐ろしいほどに私好みのラインナップで授業していく。はたしてどんな1年になるのだろう…。

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