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2009年9月21日 (月)

奇をてらったこと

 わたしゃ奇をてらったことを言うのが好きな人間だが、実は言ってる本人は本気でそう思っていることが多い。

 最近ふと思ったのだが、国語のマークシートの問題、つまり大学入試センター試験の問題は、心とかコミュニケーション能力を鍛えるのにいいのではないかと。

 記述タイプの試験を受けるのは楽しい。レポートタイプの試験を受ける時は、時計を横に眺めながら、好き勝手に文章を書き殴る。ジャズを聴いている時は、単に聴いているだけでなく、演奏者の気分になりきっている部分が多分にあるが、ちょっとあれに似ている。自分が解答を書いているのか、鉛筆が勝手に解答を書いているのかわからなくなる。

 それに比べればマークシート、すなわち選択肢だけで構成される問題を解く際には、本当にストイックにならざるを得ない。センター試験本番レベルの問題は、一つだけが正解のはずなのに、ほとんど全ての選択肢が「そうも言えるよなあ…」という内容だ。そこから正解の選択肢をつり上げるためには、いくつかの儀式が必要になってくる。

 まず一つには自分の日常の感覚を全て「 」に入れてしまうことだ。
 以前勤務していた学校で、島尾敏雄氏の文章が出題され、「木の葉のように揺れながら敵艦にぶつかっていく」という記述をわかりやすく説明しなさい、という設問があった。それに対して多くの生徒が「零戦が…」と答えた。しかし、主人公はボートで特攻する部隊の隊長であり、そのことはちゃんと本文中に書かれているのである。そんな極端な例に限らず、微妙な日常の先入観が、選択肢の判断を迷わせる。

 また、一見それほど大きな意味もないとさえ思える本文中の言葉の全てを、全身で受け止めるようにして読むことも大事だ。
 センター試験レベルの問題は、消去法で絞られた最後の二択の正誤をミスなく見極めるのは、一般の大人でさえも困難である。(いやプロの国語教師でさえも…^^;)。本文を読む自分の心をとぎすまし、日常的感覚を極限まで削り取って、本文内世界だけの言葉の純度を高める。まさに問題本文の受容である。

 「受容」という言葉を使ったが、これはカウンセリングの用語だ。カウンセラーはクライエントの言葉をありのまま受け止めなければならない。そして受け取った言葉をありのままクライエントに返す。それによってクライエントが自分自身を見つめるための鏡になる。鏡を参考にしながら、クライエントは混乱した自身の内的世界を整理し、自分の心を取り戻していく。この時、カウンセラーは、徹底した自己認識によって自分の心に巣くった先入観を取り払い、クライエントの言葉をありのまま受け止めるための準備をしなければならない。クライエントの言葉を高い純度で受け止めることができなければ、言葉はねじ曲がって伝わり、かえってクライエントを混乱させる。

 で、選択肢問題を解く時の熊男の心は、実際そういった「受容」の状態に似ているのである。
 選択肢問題を気合いで解くことは、コンテクストに応じて、様々なものの考え方を背景に持つ、様々な人々の意見を、ありのまま受け止める訓練になる。

※ こういう書かなくていいことを書く時は………さあ次は掃除だ!

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