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2010年7月19日 (月)

悲劇

 私は、このブログでは基本的に愚痴は書かないことにしている。もちろん、実名も立場もさらしているこのような場で不用意な発言は出来ないという、まあごく自然な判断による部分もあるが、それだけではない。

 基本的に「悲劇」は、特定の状況においては避けられないものだという、諦観めいたものを私は持っているからだ。「状況」というものは、それこそ地球の裏側まで網の目のようにつながりあっている。前に紹介したアニメ映画の『時をかける少女』はそのへんをよく説明してくれているので、観てない人は観るといい。あれは道徳の授業で生徒達に見せてもいいぐらいだ。

 (余談だが、タイムスリップものは、全てタイムスリップが不可能であることを逆説的に証明するために存在しているような気がする。現実は、全て横につながりあっていて、異なる「時」が混ざり合う余地など無いのだと…)

 だから、特定状況下における「悲劇」は、一個人にとっては絶対的なものであって、避けようがない。
 屁理屈の羅列ではあるが、実際私が愚痴を言わないのは、それも理由の一つなのだ。

 だからといって、悲観主義というわけでもない。今を生きる我々一人一人が、本当の意味で互いに理解し合おうとすれば、争いや憎しみが発生する率を下げることは出来るはずだ。実に古典的な提言だが、その実現が困難なだけに、今現在も我々の目の前にある。(ジョン・レノン?……もちろんファンですよ^^;なんだかファンと言ってしまうのが照れくさいのは、やっぱり年なのかも知れないけど。 )

 「教育」はもちろん「悲劇」の発生を低下させるための重要なファクターの一つだ。それは普段は目にすることのない地中深くに埋められた礎のように、控えめであるべきなのだろうが。

追記

 前にも書きましたが、「洞穴日記」「熊男の住処」「ツイッター」以外では、ネットの書き込みは一切していません。まあ、飲み友達と飲む時は、派手に愚痴ってしまうこともありますな^^;

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