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2010年7月19日 (月)

「プロテウス的人間」

 「プロテウス的人間」とは、小此木啓吾さんの『モラトリアム人間の時代』に出てくる言葉である。それには次のように定義されている。

「次から次へと自分をいろいろな生き方、考え方に同一化させて変身を遂げ、その過程で自己を自己実現していく自己実現型人間。」

 そして、「現代社会を生きる上でこのような能力がむしろ必須となりつつある。」、と述べられている。

 若い頃に、この「プロテウス的人間」にあこがれた。
 あこがれる前からこういう生き方を志向していて、それを説明するために適当な言葉を見つけたということだったのかも知れない。

 一つひとつの「生き方、考え方」を中途半端にしてきたつもりはない。例えば一冊の本を読む時も、そのエッセンスを搾り取るように、その本に向かってきた。それらの経験は確実に自分の心の奥に積み重なっている。

 今でもそういう姿勢は変わらない。

 現代文化は、そういう生き方を許容してくれる。映画を観ても、本を読んでも、ネットを泳いでも、現代文化は無限の可能性を目の前に示してくれる。もちろん、それらの情報の海でおぼれないための「強さ」は必要だが。

 生きることは若い頃に想像していた以上に楽しい。草原を走る自転車のように、現代文化の風を感じて進んでいこう。

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