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2010年8月 7日 (土)

創り出すこと、生み出すこと

 コミュニケーションは時として不毛だ。

 筒井康隆さんの作品の中に、次のような表現があったと記憶している。(作品名は忘れた)

 「風には石の心がわからず、石には風の心がわからない。」

 風と石に限らず、どのようにコミュニケーション能力を磨いても、互いに理解し合えないケースというのは存在しうる。それは人それぞれ異なる人生を生き、異なる心の土台を築き上げているからである。
 そして、石や風が互いを理解するために、石は風化し、風は凍り付くしかないというのであれば、それはコミュニケーションとは言えまい。

 しかし、創り出し、生み出すことはできる。

 子供の頃に読んだ萩尾望都さんの『スター・レッド』というSF漫画に、こんなシーンがあった。

 (ネタバレ注意)

 超常的な力を持つ異星人(男)が、ある荒れ果てた惑星で、ヒロインを事故で失ってしまう。ヒロインの心だけが異空間を永遠にさまよい続けることを知った彼は、封印していた自分の力のリミッターを解く。しかしそれは狂気の中で永遠の時を生きることを意味していた。そして時が流れ、いつしか不毛の大地に、水が流れ、草木が生え、年老いた惑星は蘇り始めていた。

 前にも書いたが、少年の私にとって、この展開は物語の「落ち」として納得することが出来なかった。それで何度も何度も繰り返し読んで、本当の落ちを探そうとした記憶がある。
 
 最近私は、子供の頃の自分に影響を与えたものについて時々考える。じじいになったせいか、むなしさしか与えられないように感じた『スター・レッド』の落ちの意味も、ほんの少しわかるような気がしてきた。コミュニケーションは時として不毛だ。しかし、創り出し、生み出すことはできる。たとえ、それがどのような結果を生むかわからなくても。


追記

 というか、萩尾望都さん、『続スター・レッド』を描いて下さい^^;
 

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