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2010年8月15日 (日)

頭の体操

 明日から補習が始まるし、ちょいと頭の体操でもして、ノーミソを再起動しておこう。

 なぜ、我々は時間を流れとして認識できるのかというあの話である。

 例えば10時間前に起きた出来事は、だれが考えても既に消えて無くなっている。10時間前の出来事について誰かに聞いたら、「えっ、その事件なら、まだそこにあるからちょっと見ておいで。」なんて言う人はいないだろう。ビデオテープじゃないんだから、本物の「現実」は巻き戻すわけにはいかない。
 ところで1秒前の出来事はどうだろう。これもまだまだ感覚的にも「過去」だ。過ぎたばかりだから、まだ残像が心の中に残っている感じだが、やはり「現在」から見れば過ぎ去ってしまって存在していない。
 それでは極端な話、0.000000000001秒前はどうだろう。これも「前」という語が最後にくっついているからには、やはり過ぎ去った「過去」だ。だがそうやって、我々の目の前にある「現在」から、「過去」の部分を徹底的に削り取っていくと、後には何が残るだろうか?

 そうすると実在するはずの我々は、「現在」という幅のない時間の中を生きていることになる。だが、目の前に広がっている「現実」が幅のないものに見えるだろうか。自分の手はなめらかにキーボードを打ち、BGMはヘッドフォンから豊かな旋律を耳に伝える。
 当然「過去」の残像がまだ心の中に残っているからだ、と誰でも考えるだろう。だが残像が残っているというのは具体的にどういう状態だろうか?例えば、はえが一匹、部屋の中を飛んでいるのを見て、その姿が映りの悪いテレビみたいに、二重三重に重なって見えるという人はいないだろう。はえはくっきりとした「はえ」の形を保ったまま、目の前を横切っていく。
 我々のノー味噌の中に、動きのなめらかさを感じさせ、連なる音を旋律として聴き取らせる、なんらかの仕組みがあるはずだ。幅がないはずの「現在」を、立体感のある現実として感じ取らせ、それでいて過ぎ去ったものについては「過去」と認識させる、ほんの一秒に足りない程度の「幅」を創り出す何らかの仕組みが。

 アニメーションをコマ送りで見ると面白いことがわかる。例えば動きの激しいシーンなどを一枚一枚コマ送りすると、前のシーンの残像が、次のコマにうっすらと残っている箇所があるのがわかる。つまり前出の「はえ」の話のように、キャラクターの絵などが二重に重なっている。だからそのシーンをじっくり味わおうとコマ送りしてみても、それらの残像が邪魔をして、興ざめするのが落ちである。再び同じシーンを、普通のスピードで見てみると、残像が残っていることなど全くわからない。そこにはキャラクター達のなめらかな動きがよみがえっている。むしろその残像が、動きになめらかさを与えているということに、誰でも気づくはずだ。

 もちろん、普段の現実認識の際にも、ノー味噌の中でアニメーションと同じことが起きているのだ、というのは短絡的ではある。なぜなら、目の前の「現実」に、アニメーションのコマのような残像が実際にあるわけではないからである。アニメーションと現実認識との間に共通要素があるにしても、脳内での情報処理のあり方が全くの同じであるはずがない。しかしアニメーションの「残像」は、ノー味噌の中で何が起きているかを考える上でのヒントにはなりそうだ。
 ここで重要なのは、なぜ一つのコマの中でずれているはずの映像が、くっきりとした輪郭を持ち、なめらかに動く、リアルな一つのシーンとして、我々に見えてしまうのかということだ。

 論点を明確にしておこう。

 一つは、「幅のない時間」という哲学のテーマにしかなりそうにないものが、実際に目の前に存在していること。
 一つは、「現在」の実体が全て「過去」の残像だとして、それが「現在」という「幅のない時間」の中でどのように機能しているのかということ。そしてそれがどのように「時間の流れ」の認識につながっているのかということ。

追記

 おそらくこの「時間の幅」は、茂木健一郎さんのおっしゃっているクオリアと、観点を一にするものだと思います。(すみません、身の程知らずもいいところですね。笑って見逃してやって下さい。)ただし以前書いたように、この発想そのものは西田哲学を読んでいた時にふと思い浮かんだものです。(2年間もこの話にこだわり続けていますが…。まあ不定期連載の長編小説みたいなものですね^^;)
 なぜこれまで「クオリア」という単語を一度もこの日記で書かなかったかというと、不用意に使うと、使った用語の持つパラダイムに飲み込まれるかもしれないという恐れを感じていたからです。最初からど素人の戯言なのに、飲み込まれたからどうなるというものでもないのはわかってますが、まあ全くの別件でちょいとトラウマみたいなものがありましたので、条件反射みたいなものです…。

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