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2010年10月10日 (日)

頭の体操(その5)

 眼球の構造なんてわからないのだが…

 今目の前に見えている光景は、よくよく観察すると自分の視線の中央しか明確な輪郭を持っていない。例えば自分の手の届く距離に空き缶を二つ置いてみて、片方に意識を集中すると、もう片方はほんの数センチしか離れていないのにぼやけて見える。視線を移せばすぐに鮮明になるので、そんなにぼやけて見えているとは誰も意識していないはずだ。

 カメラには被写体深度というものがある。レンズの前方の風景の、奥行きまでくっきりとピントが合うようにも出来るし、ある距離の被写体にのみピントが合うようにもできる。しかし、レンズから等距離の被写体であれば、画面の中央だろうが、端っこだろうが、どれもくっきりピントが合うはずだ。(ちょっと自信がないが…)

 単に眼球とカメラとの構造の違いに過ぎないのかも知れないが、これまでこの「頭の体操」シリーズで述べてきた文脈で考えれば、視界の周辺のこのぼけ具合は、単にピントがずれているだけでなく、残像のステレオグラム的処理が視界の中央のみでなされ、周辺部分は多重露光的にぼやけてしまっているからではないか…という気がするが、いつも以上に根拠のない話ではある。

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「時間意識」戯言」カテゴリの記事

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