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2010年12月18日 (土)

現象学

 私がこの用語を使うときは、たいていフッサールの現象学のことを指している。これは単にこれしか知らないだけなのだが。

 知っているといっても、著作の全てを読んだというわけではない。竹田青嗣さんの「現象学入門」の助けを借りながら、あれこれ著作をかじってみただけだ。

 「現象学の理念」。これは結構隅から隅まで読んだ。
 「イデーン」。斜め読みした。引用に適当そうな記述を見つけるためだけの読みだった。ごめんなさい。
 「ヨーロッパ諸科学の危機」。これは結構真面目に読んだが、隅から隅までというほどではない。
 「内的時間意識の現象学」。最近読んで、「時間意識戯言」に似ているのでびっくり。

 実際読んでみればわかるが、かなり難解である。「現象学入門」の助け無しではとても歯が立たなかっただろう。わかる部分を拾い読みしながら、わからない部分を想像で補って進んでいくような読みだった。大体哲学関係の本は、日本人が書いた物でさえ難解なのだから、(「善の研究」を青空文庫で読んでみればわかります)、翻訳された本の難解さに至っては暗号を読み解くようなものだ。

 それなのに初めて現象学に触れてから約15年。時間が経つほどに私の心への影響度が増してきているのは、多分フッサールの文章そのものの、難解さの奥にある魅力にあるのだと思う。
 
 読んでみればわかるが、彼の文章には「机」とか「赤(色)」とががよく出てくる。多分彼は、書いている最中に、自分の目の前にあるものを見つめ、それを思索のモチーフとしている。「赤」なんかは多分、机の上にある赤インクか何かを見つめていたのだろう。
 そういったことに象徴されるように、彼の文章は常に自分の「心」が対象であり、どんなに難解な言葉遣いで難解な内容を書いているように見えても、「心」から離れていないために、じっくり読めば理解できるのだ。(そんな気がするだけなのかも知れないが…)。何しろ「心」は誰の中にもあるのだから。

 誰しも納得せざるを得ない、究極の真実。フッサールはそんなものを求めていたらしい。そんなものが本当にあるといいなあ…^^;

 「熊男の住処」内の、現象学関連の記述へのリンクです → ここをクリック

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