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2011年1月13日 (木)

音楽と言葉(その②)

 (いつもの戯言です。連載小説みたいなものなので、初めてこのブログにたどり着いた方は、「時間意識ダイジェスト」を先にご覧になって下さい。でないと何を言っているのか多分……(^_^;))

 0.3秒の「過去把持」によって、いろいろな考え方が派生的に生まれてくる。

 音楽のコードという考え方も面白い。若い時、へたくそなギターをよくかき鳴らしていた。左手で弦を押さえることで、CだとかFだとかのコードをつくる。それを右手でかき鳴らすことで、調和の取れた響きを創り出す。
 つまり、一定の音の組み合わせが、耳に心地よいハーモニーを生むわけだ。

 さて、コードを構成する音の全てを同時にかき鳴らすとハーモニーが生まれるのはわかるとして、そのコードを構成する音の一つひとつを線状に組み合わせても、美しい旋律が生まれるのはなぜだろう。若い頃これを不思議に思っていた。一つひとつの音はつま弾くと同時に消えていく。響きはある程度脳味噌の中に残っているとはいえ、そのコードに属す一小節なりを弾き終わるまで持続できるとは思えない。それなのに、一定のコードの中で、そのコードに縛られた旋律は、美しく響く。まるで同時にかき鳴らしたかのように。アルページオなんかが一番わかりやすい例だろう。

 「過去把持」という考え方を使うとそれが簡単に説明できる。つまりメロディラインは「過去」に消え去るわけではない。脳の中に擬似的に創られた0.3秒の「時間の幅」の中に、一つひとつの音はその音に反応するニューロン群のハウリングによって、過去把持的にとどまり続ける。そして、色のついたセロファンを一枚ずつ置いていくように、一つひとつの音が脳味噌の中で重なり合って新しい「色」を創り出す。そのコードの小節なりを弾き終わる間に、ストロークによって同時にかき鳴らしたときと変わらない、和音が生まれる。

 音楽の「旋律」と同じように、線状性を特徴とする言葉にも、同様の効果があるのではないか。我々が文を読んだり声に出したりするとき、文を構成する言葉の一つひとつは「過去」に消え去っていくわけではない。おそらくは音楽と同様の装置によって、言葉の響きは心の中にとどまり続け、乱立しながら一つのコードを創り出し、文の意味というハーモニーを我々に伝えている。

追記

 というより、なぜ和音なんてものが存在するのだろう。そんなことにまで興味が湧いてきた…

追追記

 「不思議な少年」という漫画のエピソードの一つに、人類が最も人類らしい営みを生んだ瞬間、というものがあって、それは言葉だろうと思っていたら、漫画の落ちは「歌」だった。ちょっと意外だったのだが、ひょっとしたら自己意識の最初のきっかけは歌だったのかも知れないと、最近は思い直し始めている。

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