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2011年2月 1日 (火)

錯視

 本当は、関係書籍をいくつか読んでから記事を書く予定だったが、ほとんど確信に近いものを感じたので、いつもの通り見切り発車で書いてしまう。

 「錯視」は、「ステレオグラム的時間意識」で説明できる。「錯視」についてはこのHPをご覧になっていただければすぐどのようなものかわかるはずだ。(→「蛇の回転」、北岡明佳さんのHPにリンクを張らせていただきました。)

 さて、「ステレオグラム的時間意識」については、これまでこのカテゴリ「時間意識戯言」で何度も説明してきたので、ここでは詳説はしない。→「時間意識戯言ダイジェスト版

 これまで私が語ってきた戯言のうち、今回の「錯視」に関連ある内容を列挙する。

① 同じ刺激に反応するニューロン群の、発火してほんの短い時間が経過した消えつつある「過去」と、その瞬間に受けた刺激による「今」とが、ステレオグラム的に脳内で合成されて、擬似的な幅を持つ「現在」と、時間の「流れ」とを、我々に認識させているということ。
② 動く物体を観察するとき、今この瞬間の物体の視覚映像と、ほんの一瞬前の残像とが、脳内でステレオグラム的に合成されて、我々に「動き」を認識させているということ。

 さて、上記のリンクをクリックして「蛇の回転」をご覧になっていただきたい。単なる絵がぐるぐる回る回る。アニメーションではない、単なる一枚絵が、ただ見つめるだけでぐるぐる回る。すさまじい説得力を持つ錯覚だ。
 しばらく観察していると、いくつかの法則性に気づくはずだ。まず、視点を動かさないように注意すれば、中心部の「蛇」は回転していないことがわかる。また、しばらく同じ場所を見つめ続けると、周辺の「蛇」の回転も次第に落ち着いてくる。視点を動かすと、動かした瞬間に最も激しく「蛇」が回転することに気づく。図柄をよく観察すると、同心円状に同じ図柄がびっしり並んでいる。淡い色、濃い色の組み合わせによるシンプルな図柄である。

 さあ戯言を語ろう。

 回転は、図柄同士の直接的な干渉によって起こるのではなく、今この瞬間に脳が受けた映像刺激と、そのすぐ隣の図柄の残像とが、脳内でステレオグラム的に合成されて、擬似的な「動き」を我々に認識させているのではないか。
 つまりその瞬間瞬間の視覚映像が、ニューロンの発火サイクルである0.3秒の期限付き残像となって、ずれながらずれながら幾重にも重なり合い、まるで円盤が回転しているかのような錯覚を、見る人に与えているというわけだ。
 視点を動かすと、視点の動き自体が、相対的に観察する対象、つまり図柄の「動き」となり、隣の図柄の残像とのステレオグラム的合成を引き起こす。逆に視点の中心部の円盤が回転しないのは、現在の映像と残像とが脳内で「正しい」組み合わせで合成されているからであろう。
 おそらく、図柄の淡色と濃色の組み合わせは、脳内での隣の図柄同士の合成を引き起こす触媒としての働きをしている。

 「蛇の回転」だけでなく、錯視の多くが、「現在」と「残像」との干渉という観点で説明できるように思うのだが、いかがなものだろうか。


追記

 「時間意識戯言」の枠組みを使ったので、だれも言っていないと読んでの見切り発車なんですが、どこかで誰かが言っていることなら、削ってしまいます(^_^;)
 錯視関係の書籍はこれから読みますね。 

追追記

 錯視の擬似的な「動き」は、時間的な幅のないはずの「現在」でも、動きを認識することが可能であるということの一つの証明になっていますね。

追追追記

 その後あれこれ考えている内に、「蛇の回転」に関しては、青が「今」、黄色が「残像」という役割分担で、ステレオグラム的合成を引き起こしているような気がしてきました…。まあこのブログの説明が当てはまる「錯視」もあるような気がするので、記事はそのまま残しておきます。(実は理屈から先に考えて、それに当てはまりそうな「錯視」をネットで探して、「蛇の回転」を見つけたのでした。)

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