« 創造性 | トップページ | 「マイレージ マイライフ」 »

2011年4月21日 (木)

悲喜劇

 映画作品にも様々なジャンルがあり、どのジャンルにもそれぞれよさがあるが、私は「悲喜劇」が最も好きだ。
 それは悲喜劇が「現実」そのものだからだろう。

 このへんてこりんなブログで、現実は言葉が創り出していると語ってきた。さらには人の「心」が現実を創り出しているとも語ってきた。これらは哲学の領域ではありふれた考え方であり、殊更に「私は語ってきた」などと語るのもおこがましいとは思うが、文脈を確認するための記述だと了解していただきたい。

 じじいになったせいか「現実」そのものが、なんだか時々悲喜劇に見え始めた。
 「現実」は様々な「心」が織りなすテクストだ。

 野心。
 嫉妬心。
 愛(と勘違いした寂しさ)。
 虚栄心。
 エトセトラエトセトラ。

 それらがあざなえる縄のように絡み合い、「現実」という悲喜劇が創作される。

 悲喜劇を鑑賞するのは楽しい。現実という悲喜劇の筋書きは虚構テクストのように不確定で空所だらけだ。
 だから現実を読み解くことは、一種の自己カウンセリングとして作用する。わかりやすく言えば、物語を読むことで癒されるのと同じ作用があるわけだ。

 じじいになって、時々そんなふうに現実を眺めるようになった。たとえ自分がその悲喜劇の当事者であってもだ。つまり、不死身度が増したとも言えるのだが、全く自慢にならない話ではある。


追記

 久しぶりのブログなのに、訳のわからない内容になってしまった。少しずつ心のエネルギーも溜まってきているようなので、また戯言を書き始めようと思う。


 
 

|

« 創造性 | トップページ | 「マイレージ マイライフ」 »

心と体」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 創造性 | トップページ | 「マイレージ マイライフ」 »