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2011年4月10日 (日)

音楽と言葉(その③)

 またまた思いつきである。

 この「音楽と言葉」シリーズで私は、音の重なりである「和音」と、複数の言葉のつらなりである「センテンス」は、それが脳内で成立している仕組みが似ているのではないかと述べた。

 もともとは、それらの我々の心が創り出す「音」は、外からの刺激を心の中で再現するところから始まったはずだ。
 外からの刺激を受けて、その刺激に反応する複数のニューロンが次々に発火していき、互いに互いを刺激し合いながら反応がループしていく。そして外からの刺激無しで、クラッチを切ったエンジンが慣性で回り続けるように、ニューロン群の発火のループが自律的に持続するようになる。つまり心の中で、自分の周囲の音を再現できるようになる。それらのニューロン群の発火のループは一つではなく、脳内のあちこちで、複数のゴム輪を王冠の出っ張りに引っかけていくように、同時並行的に複数成立している。
 つまり、「現実認識」の延長線上に自律した音ーすなわち言葉ーによって構成された「意識」があり、それらは元は脳内の同じ装置によって成立しているのではないかというわけである。

 外界の音の刺激に対して敏感な個体の方が、進化論的に生き残りやすかったはずだ。つまり、自分の周囲の音を聞くとき、それを心地よいと感じる方が、当然それらの音に対して注意を傾けやすくなる。
 そして、複雑な音の重なりを気持ちいいと感じることができればできるほど、その個体は周囲の変化する複雑な状況に対して反応しやすくなる。そして生き残りやすくなる。

 そういった脳の機能が、音楽に対する心地よさにつながり、それがさらに「話すこと」の快感につながっていく。
 我々は、ただ話すだけでも、心地よさを感じているはずだ。話すことは心の中で複数の音を生み出すことに他ならない。かつて我々が自分の周囲の音を聞きながら心地よいと感じたのと同様の装置によって、今度は我々自身が心の中で生み出す音を心地よいと感じている。それが複雑であればあるほど快感を感じる。そして、それがコミュニケーション能力の土台の一つになっていく。

 もちろん、そこに込めた意味を正確に受け取ってもらうことは、気持ちよさを生む重要な条件である。しかし、それはまた別の観点であろう。

 いや戯言ですよ、戯言。

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