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2011年6月27日 (月)

ジュウシマツの歌

 いつもの「時間意識戯言」である。このカテゴリの記事を初めて読む方には、上記リンクをクリックして先に戯言の数々をご覧になることをお勧めする。

 「鳥の歌にも文法あるかも 親に学んでる?京大助教ら実験」という記事がネットのあちこちに出ていた。
 ジュウシマツの歌を音素に分解し、それを並べ替えた「替え歌」をジュウシマツに聞かせて、通常の反応を見せるかどうかという実験らしい。結果、いくつかの「替え歌」のパターンで、通常の歌と同様の反応を見せたというのだ。これは非常に興味深い記事である。

 一つ前の日記で、人の言葉の最初と最後以外を入れ替えても、意味はちゃんと伝わるというこれまた興味深い記事を紹介した。しかしこれについては、「頭の中で音を入れ替えて判断したからだろう」と容易に反論されてしまうだろう。

 しかし、ジュウシマツが「意識的」に音素を脳の中で組み替えて、それが「同じ歌」であると判断しているはずがない。もしジュウシマツにそんなことが出来るのであれば、ジュウシマツは「意識」を持っていることになる。脳の機能が、順番の異なる音素を、同じ「歌」として処理していると考えるのが自然であろう。

 そこでいつもの戯言なのだが、一つの音素に反応するニューロン群がループしながら発火し続け、それがいくつも乱立して、いわば脳内で和音が鳴り続けているような状態を創り出していると考えれば、順番の異なる音素を「同じ歌」と判断する機能の説明になるのではないか。つまり例の「ハウリング」である。

 人の場合は、そのニューロン群の発火ループが、恒常的に、言語の創り出す抽象化された現実認識の機能にも出力されているはずだ。それによって我々は音に過ぎないものを頼りに、様々な抽象的思考を行っている。
 しかしジュウシマツの場合は、音をただ脳の中で再現し、それを歌声として出力するだけだろうから、ジュウシマツが我々と同じような「言語」を獲得しているということには当然ならない。ただ人の原初的な「意識」の状態を想像する手がかりにはなるのだろう。

 しかし、開き直りすぎて、最近は「戯言」と断るのも照れくさくなってきましたね^^;

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