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2011年6月18日 (土)

「時間の幅」と「アナグラム」

 今回は考えている途中にすぎない話を書く。

 これまで、同一の刺激に反応するニューロン群の活動電位のずれが脳内でステレオグラム的に合成されて、「時間の流れ」を我々に認識させていると、この「時間意識戯言」で語ってきた。
 そして、ニューロン群の反応が再発火までの0.3秒の幅でループし続けることで、我々に擬似的な「時間の幅」を認識させていると述べ、それを勝手に「ハウリング」と名付けた。
 さらには我々が何かを思考する際、その擬似的な「時間の幅」の中に、言葉の一つひとつが残響のように脳内で乱立しているとも書いた。

 最近、脳内で音は言葉単位ではなく、一字単位、さらには音素単位でハウリングを起こしているのではないかと考えている。それはその方が発生しやすいだろうからだ。複雑な音によって構成される「言葉」より、単純な一字単位、音素単位の方が、正確な反応のループを起こしやすいはずだ。たとえ言葉単位でニューロンの反応がループしているとしても、音素ごとのループが重なり合って言葉を構成していると考えた方が、ニューロンの反応の仕組みとしてシンプルである。

 ツイッターでこんなつぶやきを見かけた。

「この ぶんょしう は にげんん は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。」

 これはなかなか衝撃的だった。文字を入れ替えた言葉がそれでも理解可能なのは、言葉が脳内では一音素単位でニューロンの反応のループを起こし、それらのグループ分けによって成立しているということの証明になるのではないかと思う。グループ分けの「区切り」を創り出すのが最初と最後の音という情報なわけだ。

 言葉の文字の入れ替えといえばアナグラムそのものだ。ある言葉の文字を入れ替えることで別の言葉が生まれてきたり、またある言葉の中に別の言葉が隠されていたりというあれである。
 構造主義の創始者であるソシュールは晩年にアナグラムの研究をしていたし、フロイトは夢は深層意識がアナグラム的に超自我の検閲を通って意識の表面に出てきたものと語っている。意識を対象とした研究者達が少なからずこれに興味を持っていたということだ。

 もし、言葉が本当に、擬似的な「時間の幅」の中に音素単位で乱立しているのであれば、同じ音素同士の言葉を使う際我々の意識にどのような影響を与えるか等々、様々なテーマが出てきそうだ。…が、まあ戯言はこのぐらいにしておくのが賢明だろうとさすがの私も考えている。


追記

 四文字以上の言葉で、最初と最後の二文字以外を入れ替えて、全く別の言葉になる組み合わせはそんなにたくさんあるだろうか…。(もちろん同一の言語体系内で)。

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