« 『さえずり言語起源論』 | トップページ | "A stereogram in a brain creating flow of time" »

2011年7月19日 (火)

意識って何だろう?

 おそらくは記号論や現象学にどっぷりつかり、「共時態」なんて言葉と対決していたせいで、私は長い間考え続けていた。

「『現在』は常に一瞬なのに、なぜ我々は思考することが出来るのだろう?」

 時間は一瞬のうちに過ぎていく。今感じている「現在」はあっという間に過去に消えていき、また消えていき、それが無限に繰り返される。
 不思議なのは、我々がその様子を感じ取ることが出来る点だ。まるで流れの外にいて、流れを眺めているかのように。もちろん我々自身も流れの一部であることはいうまでもない。
 我々の思考自体が不思議だ。今考えている頭の中のこの思考が、幅のない「現在」によってスライスされたものとはとても思えない。何かについて考えている時、我々の心の中にはリアルな立体感を持つ思考の「塊」が生まれているように感じられる。

 だから、「意識や魂は肉体とは別の存在である」という世界中どこにでもある発想は、ごく自然な成り行きによるものなのだろう。意識は実際、幅のないはずの「現在」からはみ出して存在しているように感じられる。

 この「時間意識戯言」では、なぜ幅の無いはずの時間の中で、我々が時間の流れを感じ、そして思考できるのかについて、延々戯言を書き綴ってきた。
 
 今現在、「戯言」はこんな感じになってきている。

 自分の周囲の「現実」からの刺激によって引き起こされたニューロン群の発火深度のずれが、脳内でステレオグラムのように合成されて、「現在」という一つの時間と、その流れとを我々に認識させている。それは同時にニューロンの活動電位が消え去るまでの0.1秒~0.3秒の幅を、物理的には幅がないはずの「現在」という瞬間に与えている。
 だが、それだけの幅では、我々の今現在行っているこのリアルで豊かな「思考」を支えられるとは思えない。だから次のように考える。この0.3秒の幅に、「言葉」を構成する音素に反応するニューロン群がループ反応を起こして、一定の時間とどまり続けている。クラッチを切ったエンジンが空転し続けるように。そして、そのループ反応が恒常的に抽象化された脳の現実認識の機能に出力し続けている。つまり言葉に触れる時、その言葉の指し示す「現実」を我々はありありと思い浮かべることができる。そしてそのイメージを一定時間、持続させることが出来る。

 拙宅『熊男の住処』に作った「時間意識戯言ダイジェスト版」を、ついに英文要約し始めた。まだまだ最初の一つ「ステレオグラムと時間意識」を要約しただけだが、暇なときに少しずつ他の記事も追加していくつもりだ。


追記

 英文の不備など指摘してくださると助かります ^^; 人生の本質は他力本願…かな。

 

|

« 『さえずり言語起源論』 | トップページ | "A stereogram in a brain creating flow of time" »

「時間意識」戯言」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『さえずり言語起源論』 | トップページ | "A stereogram in a brain creating flow of time" »