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2011年11月18日 (金)

滝の流れ、時の流れ

 一ヶ月近く前の話だが、紅葉が観たくなり、ネットで調べて見ごろマークがでていた陽目渓谷というところに行ってきた。竹田の南、熊本近くまで山道を走ったところにある渓谷である。

 紅葉も美しかったが、「白水の滝」も美しかった。水量の多い時はしぶきが数百メートル先まで届く、と看板に書いてあったが、本当にそのくらいの迫力があった。

 十メートル以上はありそうな高さから落ちてくる滝を見ながら、例によって「時の流れ」のことを考えていた。大体最近は外出する度に、あちこちの風景を眺めながらそんなことを考えている。

 落ちてくる水の塊は、もちろん激しく流れている。一瞬もとどまることはない。
 しかし、自分が書いてきた「時間意識戯言」の内容を反芻しているうちに、なんだか滝の流れも奇妙な動きに見え始めた。はっきり言えば、止まって見えるのである。
 止まって見えるといっても、滝が凍りついたように動きをとめる、ということではもちろんない。そんなふうに見え始めたら、最初に自分の脳味噌を疑う。

 これまで「時間意識戯言」で私は、我々は日常的に脳の中に残像を作り出しているはずだと書いた。その残像によって目の前の風景が手ぶれした写真のようにぼやけて見えないのは、右目と左目それぞれから入ってきた映像を脳内で合成しているのと同じように、複数の残像を脳内で一つのものとして処理しているからではないかと書いた。そして、視界の中央の視覚情報は特に強く合成されて明確な輪郭を持つ一つのものとして認識され、その一方で視界の周辺部は比較的合成力が弱く、その分動きを感じ取りやすくなっているのではないかと書いた。

 滝の水は普通に眺めている時には、かすれて見える。そのかすれは、私には単にピントが合っていないだけでなく、「脳の中の残像」が重なっているためにぼやけているように感じられた。
 ところが落ちてくる水の動きに、焦点を絞って視線を同調させて動かすと、水の塊の一つひとつがくっきりとした輪郭を持ち始める。それはその瞬間瞬間に空中に止まっているかのように見えたのだ。そこには残像の欠片も感じられなかった。その代わり滝の周囲の風景が、強いかすれを伴いながら「流れ」始めた。そこに明らかに残像の発生を感じた。

 「時間の流れ」を作り出す脳内での残像のステレオグラム合成。我々はその合成の強弱によって、目の前の光景に時に「流れ」を感じ、時に擬似的な「絶対的な慣性系」を感じ取り、それらの微妙なバランスの上に「現実」を認識しているのかも知れない。

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