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2011年12月31日 (土)

年の瀬に自らの戯言を振り返る

  私の最大の関心事は「こころ」だ。「こころ」に興味を持ったために、「言葉」に興味を持ち、「国語」という学問に興味を持ち、さらには人の心を対象とする学問である「教育」へと興味を広げていった。
 それがまた「記号論」や「現象学」への興味につながり、自分の意識の根っこにある「原的な直観」について考えているうちに、目の前を流れている「時間」に興味を持った。
(十数年前に現象学関係の文献を漁っていた時に「内的時間意識の現象学」を読んでいる可能性が高いが、当時は修論の引用に使えるかどうかが読書の基準だったので、印象に残っていなかったのだと思う。)

 ある時期私は、よく夢想していた。「今考えている自分の『考え』は、考えている最中にも過ぎ去っていく。なぜひとつながりの『考え』として認識できるのか」と。「なぜ瞬時に消えて無くなるものに対して『過ぎていく』という認識を得ることができるのか」と。だからコンビニで買ってきた「ステレオグラム」の本を眺めていて、ふとこの「時間意識戯言」を思いついたのは、決して偶然ではなかった。最初から私の興味の中心にあったのだ。

 それで、「時間は存在しない」という論がないかどうかあれこれ探ってみた。最初はその程度の情報さえ手に入れていなかった。
 「相対性理論」や「ポアンカレ予想」に興味を持ったのも、それが「時間とはなにか?」という問題につながる可能性を感じたからだ。特に「ポアンカレ予想」については、それを解いたペレルマンに対する興味から、「これは何かある」と思った面もある。それほどNHKの「ポアンカレ予想」についての番組が怪しい内容だったということについては、前に書いた通りである。

 科学雑誌「ニュートン」の今月号(2月号)に「三次元球面」に関する特集が載った。私が書いてきた通りの内容であり、私の「戯言」が「戯言」ばかりではないことが証明されたわけだが、何かを手に入れたという感じではない。そもそも先に書いたように「ポアンカレ予想」に興味を持ったのは、「時間が存在しない可能性を示す何らかの発見があったのに、その情報が一般に広がることが何らかの理由で制限されているのではないか」という妙な思いこみがあったからだ。繰り返すが、それほどNHKの「ポアンカレ予想」特集は怪しい番組だったのだ。

 そういったばかげた思いこみはともかく、様々な書籍、そして日経サイエンス別冊『時間とは何か?』によって、「時間が人の認識の結果としてでしか存在しない」という論が既に存在することを知ることができた。そもそもそれを知ることが目的だったのだから、これ以上「相対性理論」や「ポアンカレ予想」に対して、その是非や扱われ方についてあれこれ批判めいたことを書く必要が無くなったわけだ。

 それでも、光速度不変の原理によって時間が変化するというのは論理的に矛盾しているとか、宇宙の形が三次元球面であることを認めてしまえば話がシンプルになるとか、ヒッグス粒子が「質量」の基になるのなら宇宙空間における等速慣性運動はことごとく減速運動に変化してしてまうはずだとか、余計なことを書きたくなってしまうのは、まあ性格なのだろう。

 ただ、最初に述べたように私の興味は「こころ」にある。もちろん「こころ」について語る話に、「現実」とはなにかという問題が無関係なはずがない。しかし、観点の置き所を間違ってしまうと、趣味とはいえ自分の人生の貴重な残り時間を浪費してしまうことになりかねない。

 つまりはやるべきことをやれと。この数年繰り返し自問し続けてきたことだが、来年こそはそれを実行したい。おそらくこれまで躊躇してきたのは、それを実行することで「夢」という永遠が崩れ去ってしまうことが恐いのだろうが。

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