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2012年1月 7日 (土)

飛ぶ矢のパラドックス

 「飛ぶ矢のパラドックス」は、「ゼノンのパラドックス」の中の一つです。
 飛んでいる矢は、瞬間、瞬間を捉えれば止まっている。止まっている状態を速度0とすれば、瞬間をどんなに積み重ねても、つまり0にどんなに大きな数字を掛けても0でしかないから、飛んでいる矢は実は止まっている(?)という謎かけみたいなものです。

 最近、私がこのカテゴリ「時間意識戯言」で語ってきた内容から、こんなふうに言えそうですね。
 慣性運動しているものに視点を寄り添わせてしまえば、静止系と変わらなくなる。つまり飛んでいる矢も、それに視点を寄り添わせてしまえば、実は止まっているのと変わらない。(その場合離れたところから矢を観察している人物を含むところの宇宙全体が動いていることになりますが…)

 つまり、「動き」というのは動いていると思われる物体と観察者との相対的な関係に過ぎないのだと。

 そういう理屈を並べられても、目の前を矢が飛んでいると、「いやこれ、どんなふうに屁理屈を並べられてもやっぱり飛んでいるよ…」と感じてしまうから、なぜ我々の脳はそれを「動き」と感じてしまうのかという話になっていくわけですな。(たぶん…)

補足

 「動いている物体」に視点を寄り添わせること自体が、瞬間を積み重ねるということと明らかに同義ですね。

追記

 つまりここで語っているのは、子供の頃に学習したガリレオの相対論を、ちょいと応用しただけですよね。言い換えただけというべきか。それなのになんだかだれも言っていないことのように感じてしまうのが不思議です…。たぶん上に書いたように、「そんな屁理屈並べたって、動いているものはやっぱり動いているよ。ほら見てご覧。」というところで止まってしまっているんでしょうけど。だとしたらこの「時間意識戯言」にはそれなりに意味があるということになりますから、その方が良いんですけどね。

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