« 「動き」は実在するか? | トップページ | 「ぼくらの」 »

2012年1月22日 (日)

鳴り続ける音

 架空の本「時間認識という錯覚」を書く時、「蛇の回転」に視覚面を担当させて、「内的時間意識の現象学」に聴覚面を担当させようと考えている。

 鳴り響くだけの音というのも、よく考えると結構面白い。

 これまでこの「時間意識戯言」で、時間には幅がないはずだと繰り返し語ってきた。(例えばこの記事)。幅がないはずの時間の中で、なぜ我々は思考することが出来るのかと語ってきた。

 同じことが、ただ鳴り響くだけの音についても言える。ただ鳴り響く音、持続する音も、実際には幅のない「今」という瞬間からそれこそ瞬時に立ち去っていくはずだ。なぜ「音が持続している」というイメージを我々に与えるのか。

 オーディオのサラウンドのセッティングをしたことのある人は知っているだろうが、センターアンプの設定によってサラウンドスピーカのディレイ(音の遅れ)を調整することが出来る。極端に音を遅らせると音が完全にずれてしまって音像がぼやけてしまうが、適切なセッティングの時には重なり合っているはずの音が一つの明確な像となり、現実の音以上に生々しい雰囲気を醸し出す。これをスピーカーの構造そのものによって恒常的にやってしまうのがBOSEのスピーカーだ。(実はわたしゃ10数万のセットを持っているのだが、壁の薄いアパートに住んでいるので現在は引退中である…(T.T))

 あれと同じことが、脳の中で起きているのではないか。つまり脳の中の音は、脳の中で重なり合って、幅のない「今」という瞬間に立ち止まり続ける。その音に反応するニューロン群がカラム単位で順に反応していき、ループ反応しながら幾重にも重なり合って、脳の中で反響し続ける。ステレオグラムを一つの像として認識する脳の機能と同じ仕組みによって、脳の中の重なり合う「音」が一つの音として処理され、ひとつながりの「鳴り続ける音」となる。
 脳の中で、「今」と「過去」とが、一つの脈絡ある「現在」として立ち上がるのだ。

 木枯らしのもたらす風の音、車のクラクション、響き渡る歌声、それらを聴く時、我々は「今」と「過去」とを同時に感じとっているのかも知れない。
 

|

« 「動き」は実在するか? | トップページ | 「ぼくらの」 »

「時間意識」戯言」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「動き」は実在するか? | トップページ | 「ぼくらの」 »