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2012年2月 2日 (木)

質量

 なんだか迷走中の「時間意識戯言」だが、今回は「質量」だ。

 ここまでの展開を振り返ってみる。時間が実在しないという論を探す過程で、ポアンカレ予想とそれが証明した三次元球面に興味を持ち、宇宙が果てがないのに閉じており、全ての場所がいわば「中心」と言えるような空間であるという解釈に興味を持った。
 そのような宇宙像では、全ての場所、全ての慣性系が、全く同じ特徴を持ついわば静止系と捉えることが出来る。それ故に、時間の流れや物体の動きは人間の認識の結果としてでしか存在しないと語ってきた。
 が、もちろん相対性理論の全てを否定しようなどとは言っていない。特に空間がゆがむという点については、前出の三次元球面でも相対性理論と同じ捉え方が採用されているはずだ。すなわち、空間が無限に近い彼方でゆがんでいき、ついには360度ねじ曲がって全方位がつながりあってしまうというわけだ。

 この空間のゆがみについては、相対性理論において重力の原因とされていると記憶している。つまり物体が周囲の空間をねじ曲げ、いわば空間の落とし穴を作り出す。接近した別の物体が、そのゆがみに転がり込むように吸いよせられる。それが相対性理論が解釈するところの重力だ。

 それで、ふと思ったのだが、「質量」についても同じような考え方で解釈できるのではないか。つまり物体は自らの周囲に創りだした空間のゆがみ-落とし穴-の中心に向かって不断に転がり続けていると。

 そういった論が、ググってみてもなかなか見つからないのは、その考え方だと、全ての物体はそれに引きずられて止まってしまうのではないか、慣性運動を説明できなくなるのではないか、ということなのだろうか?(この疑問は、例の「ヒッグス粒子」にも同じことが指摘できると思うのだが…)
 しかし、これまで私が書いてきたように、宇宙に絶対的な座標や絶対的な慣性系が存在しない以上、全ての慣性運動は静止系と見なすことも可能なはずだ。したがって真に「動き」といえるのは加速もしくは減速した時のみと言うことになる。静止しているのであれば、自らが創った空間のゆがみの落とし穴の中に転がり続けるというイメージもそんなに違和感がないはずだ。
 加減速する時、物体は自分の周囲の「落とし穴」の中心から外れてしまう。だから、中心に戻ろうとする力が働く。それが「質量」を生み出している。

 つまり質量と重力とは、元をたどれば同じ物、つまり物体が作り出す空間のゆがみが生み出すもの、といいたいわけだが、まあいつもの通り全面的に素人の戯言なのでそう思って読んでいただきたい…。
 

 追記

 特に相対性理論的に「空間のゆがみ」なんて表現を使わなくても、重力が存在するという時点でこの理屈は成立しますよね。この表現を使った方がイメージはしやすくなると思いますが。

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