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2012年3月 5日 (月)

意識の実体(その3)

 例によって覚え書きだが…。

 この一連のシリーズ記事で、「意識は常にある対象に対する意識である。」という現象学の「志向性」の考え方を拡張して、「現実認識は人の意識そのものである」と(戯言を)語ってきた。

 これまで私が書いてきたことから次のようにも言えるかも知れない。

 一つには「時間」の謎がある。
 瞬間瞬間を捉えれば、動く物体も止まっている。だから、時間の流れを瞬間の積み重ねと捉えるのなら、動く物体は実は止まっているという謎。この「ゼノンのパラドックス」は2500年前から本質的には解かれていない問題である。
 また一つには「思考」の謎がある。
 時間は止まることなく流れ去っていく。一瞬たりとも過去はその場にとどまることがない。だとしたら「現在」という瞬間には幅がないということになる。我々はどうやって「幅のない時間」の中で脈絡ある思考を保ち続けているのか。

 それらの謎に対する一つの答が「同じ刺激に反応するニューロン群が、互いが互いを刺激し合ってループ反応することで、一定の状態を保ち続けている。」というものだった。このループ反応が脳内で処理されて、人に「(擬似的な)時間の幅」を与えている。
 二つの謎に共通しているのは、その成立にそのような「(擬似的な)時間の幅」という条件を必要とする点である。「動き」にも「思考」にもそれが成立するためには最低限の「時間の幅」が必要である。その成立に同じ条件を必要とすることが、「時間認識」と「意識(思考)」とが表裏一体の同じ物であることを暗示している。

 「現実認識(時間認識)は人の意識そのものである」ということの最大の根拠はそこから来る。仮説の上の仮説ではあるが…。

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