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2012年5月 6日 (日)

3D映画

 人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んでしまえじゃないが、3D映画の発展を邪魔しちゃあいかんという余計な遠慮が働いてこれまで語ってなかったが、ずばっと言ってしまえば3D映画は目が疲れる。人によって向き不向きがあるらしいが、私は不向きの極北らしい。
 で、なぜ恋路を邪魔するようなことを書き始めたのかというと、ちょいとその対策をいくつか思いついたからだ。カテゴリが「時間意識戯言」なので、つまり戯言なのだが…

 3D映画は、一こまずつ左目相当と右目相当のカメラで代わる代わる撮影する。それを映画館で観る際には特殊な眼鏡をかけて観る。画面に同調して一コマずつ右目左目の液晶シャッターを閉じ、擬似的に右目と左目に現実に近いずれのある視覚情報を送り込むことで、立体感を感じさせるという仕組みになっている。

 疲れる原因は複数考えられる。一つには、左右どちらかを液晶シャッターで閉じているわけだから、単純に目に届く光量が半分になるということが考えられる。右目と左目がそれぞれ一こまずつ真っ黒になる訳だから、それも脳に届く情報を混乱させる基になっているはずだ。
 また、本カテゴリに以前書いたように、我々は視野の中心部分に来た物体についてはしっかり情報処理してぶれのない明確な輪郭の像を脳内に結ぶことができるが、視野の周辺部分は意外にいい加減でぼやけている。実際に3D映画を観ると、画面の全ての場所がそこに視線を合わせた時にぴったり立体感を感じられるように作ってあるようだ。そういった現実の認識のあり方とのずれが、我々の脳の混乱を招き、目の疲れにつながっているのではないかと考える。

 で、戯言解決策を考えてみた。

(解決策その①)液晶シャッターを完全に真っ黒にするのではなく、軽く光を散乱させる程度の透過性の物にする。

 本カテゴリのパラダイムからは、両目から送られてくるずれのある視覚情報は脳内で明確な輪郭のある情報に書き換えられる。しかも視神経は半交叉して、右脳左脳両方に同時に送り届けられる。だとすれば、わざわざ左右それぞれの目に、現実通りの視覚情報を見せなくても脳の方が勝手に処理してくれるはずだ。視野の中心部分はややぼやけた感じになるかも知れないが、光量が半分にならずに済むというメリットの方が大きい。

(解決策その②)専用眼鏡の中心部分だけをクリアにして、周辺にいくほど磨りガラス状に光を散乱させる。

 そもそも、我々は視野の周辺部分をいい加減にしか認識していない。だとすればぼやかしてしまっても問題ないはずだ。むしろぼやかしてしまった方が、「蛇の回転」が視野の周辺部分ほど激しく動いて見えるように、動きがスムーズに見えるはずである。→ 現在執筆中の『時間認識という錯覚』を参照 画面の隅々までしっかり観るためには首を動かす必要があるが、その方が臨場感が増すというものだ。

 で、改めてお断り申し上げるが、戯言である。自分で実験してみたわけでも何でもないのだが、適当な文章を書き散らしてみたくなって書いてみた。あしからず。

追記

(解決策その③)両目とも液晶シヤッターが開いている時間を作る。

 片方のシャッターが閉じていることが疲れの原因なんだろうから、両方開いている時間を作ってみる。「マジックアイ」みたいな一枚の絵でも立体効果があるんだから、全ての時間をどちらか一方閉じていなくても立体視できるとみた。………まあ戯言ですが。

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