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2012年8月 6日 (月)

「おおかみこどもの雨と雪」

(ネタバレ注意、これから見る予定のある方は絶対に読まないように^^;)

 たぶん日本で最も有名なアニメーションの一つである「機動戦士ガンダム」を監督した富野由悠季さんが、「おおかみこどもの雨と雪」を激賞して次のようにコメントしていた。

「本作は、変身物でもなければ、恋愛物でもないし、エコやら環境問題をあげつらったメッセージ物でもない。まして癒やし系でもない。それら過去のジャンル分けなどを飛び越えた物語になっている。描写が冷静だからだろう。文芸大作と言っても良い。それほどリアルに命の連鎖を描き、子供の成長の問題を取りあげている。そこに至った意味は刮目(かつもく)すべきなのだ。」

 特に「命の連鎖」という点については私も強く感じていたのだが、そのような観点で、本作品を鑑賞後にいくつかの物語を連想していた。
 一つ目は西原理恵子さんの漫画「いけちゃんとぼく」である。

(ネタバレ注意)
 
 年老いて出会って短い恋をした「いけちゃん」は、恋人が亡くなった後に時空を超えて幼い頃の彼に会いに行く。そして彼が成長して別の恋人と出会うまで見守り続ける。
 西原さん自身がこの映画宣伝ブログで語っているように、この漫画の「いけちゃん」は西原さん自身だ。人は自分の思いを、自分が出会う様々な他者に投影する。西原さんは次のように語っている。

「今まで付き合った彼氏の、何人もの辛い話や悲しかった話なんかを聞くでしょ、ちっちゃい頃のね。それを息子がちょうど同じ大きさになってきた時に全部思い出して、それがちょうど1冊になった本だったので、その後姿のシルエットが、昔ずっと好きだった何人もの人に重なっちゃってね。あの人達にもこんな小さな頃があったんだなぁと思って。」

 命は連鎖する。人の思いは連鎖する。

 ジョン・アービング原作で、『明日に向かって撃て』の監督でもあるジョージ・ロイ・ヒルが撮った『ガープの世界』も、同様のテーマで作られた作品だろう。短命であるという運命を背負う家族が、その悲劇をありのまま受け止めながら、命をつなげていく。あの衝撃的なラストシーンで、ヘリコプターで運ばれながらパイロットだった父親とのつながりを感じ、にこやかに笑いながら、家族に「忘れないで」とつぶやく主人公の姿は、「おおかみこども」の主人公である花さんの姿にも重なる。

 本作品の監督細田守さんの『時をかける少女』について私は以前次のように書いた

「原作が持っていた、現代社会の延長としての未来への不安といった高度成長期ならではのテーマをばっさりと切り捨て、全てが横につながりあった「今」この瞬間の、「生」のみに焦点を絞り込んだ脚本の意図には非常に共感できる。」

 『おおかみこどもの雨と雪』においても、「横のつながり」が描かれている。
 主人公の花さんは、おおかみを「しっかり生きられるように」自然に帰すという目的を果たした。だがそれによって父親と花さん二人の絆は消えてしまったかのようだ。しかし、その絆はべつの二人によって引き継がれる。「雨」が結びつけた別の命のつながりによって。

 時間を超え、空間を超えた命の連鎖の物語だ。世界につながりのないものなど何もないのだと。


追記

 この作品はメタファーだらけで、そういう意味でジブリの「千と千尋の神隠し」とか「ハウルの動く城」とかと似ていると思うのですが、そういった視点での作品分析をやってしまうと、私自身の「傾向」とでも言うべきものが明らかになってしまいかねないような気がするので、それは止めておきたいと思います。(なんのこったい)
 まあ、一言だけ語ると、「おおかみおとこ」は、全ての人が擬似的な個性を手に入れた結果として、かえって脆弱化した真の個性を象徴しているんでしょうね…。

→ そういう考え方についてはこららが詳しいです。私自身が15年前に書いた物ですが…

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