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2012年9月30日 (日)

振り子の先の振り子-二重振り子-

 たしか、脳研究者の池谷裕二さんの著書『進化しすぎた脳』に、「振り子の先につけた振り子の動きを現代の物理・数学は予測できない」、と書いてあったと記憶している。(正確に引用しようとして本を探したが、どこかにもぐり込んでしまっていて見つからない…^^;)

 これが計算式もたてられないという話なのか、計算式はたてられても実験結果と全く合わないという話なのかわからなかったのだが、そんなシンプルな構造の物を数式で表せないとは思えないので、後者と勝手に決めつけて話を進める。

 現在執筆中の架空の本『時間認識という錯覚』の第4章あたりで、座標ゼロという概念の問題点について戯言を述べた。物体の「動き」は全て相対的な物であり、何かが動いている時は実際には動いている物体と観測点とが同時に動いているはずだと述べた。(詳細についてはこちら

 「動く」点と観測者という二点間の関係と限定するならば、それらは逆位相的に同質の「動き」と見ることもでき、例え一つの点を座標ゼロとして固定しても正確に予測することができるはずだと書いた。しかし、そこにもう一つの「動く」点を追加した時、その点は最初の二点とは質の異なる「動き」となり、座標ゼロの客観性を崩してしまうはずだとも書いた。

 はったりが過ぎると思って「架空の本」には書き込まなかったのだが、「振り子の先の振り子」は、逆位相的に同質な二点に追加された、三つ目の「動く」点の具体例という気がしてならない。

 次のように言えばわかりやすいかも知れない。

 最初の振り子の先端は、左右両端に来た時以外は動き続けている。その「動き」までは予測可能だが、実際には「動き」つつあるその先端は、ぶれもかすれもしない数字で表されるような状態ではない。そこにもう一つの振り子をつなげると、元の振り子の先端の「点」が本来持っているぶれやかすれ、つまり数学的にはそぎ落とされてしまった要素が影響を与えて、二つ目の振り子に数学的には予測不可能な「動き」を与えているのではないかと。

 まあ思いつきの話なので、そう思って読んで下さいね^^;

追記

 「二重振り子」で検索すると、あれこれ記事が出てくる。計算と実測値を比較した記事もあった。「摩擦があるから計算通りにならない」という記述がほぼ全ての記事に出てくるが、つまりそれは「予測不可能」ということに他ならない。これに限らず物理に関する記述には「摩擦があるから実測値はこの通りにはならない」というのが決まり文句らしい。もちろん説明通りの真実の部分もあるのだろうが、数字の持つ「ぶれ」や「かすれ」をうやむやにしてしまうという(言葉としての)役割もあるような気がする。

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