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2012年10月 6日 (土)

空間把握能力と言語

 ベストセラーになっている池谷裕二さんの『脳には妙なクセがある』に、私の「鬼太郎のアンテナ」をびびっと反応させる記述があった。
 
 角度の異なる視点から捉えられた2つの立体図形をモニター上に映し出す。頭の中でそれを回転させて、同じ図形であるかどうかを判断させる「空間把握能力」のテストというものがあるらしい。音楽的な能力に秀でている人物は、そういった「空間把握能力」も優れているらしい。それについて池谷裕二さんは次のように語っている。

「不思議です。音程感覚と空間把握能力に一体どんな関係があるというのでしょう。現時点では謎としか言いようがないのですが、ロンドン大学のバタワース博士らは「もともと音階は空間として表現されるもの」と指摘しています。(中略)もしかしたら、メロディーの音程構造は立体図形と同じ脳回路で処理されているのかもしれません。」(P182)

 これを読んでいる最中、突然インスピレーションが湧いたのだが、それは次のようなことだ。猿が森林の木の間を飛び回っていたことが、猿に言語を獲得させたのではないか。空間把握能力こそが言語獲得の最初のきっかけなのではないかと。そう考える根拠を以下に示す。

 言葉を覚えることができる動物は限られる。ヒトは当然として、オウムなどの鳥類、イルカやシャチなどの鯨類である。鳥類は約一万種のうち約五千種が発声学習の能力を持つらしい。(もちろん「覚える」といっても情報伝達としての「意味」を持たない音だけの状態だが…)。
 意外なことに、種としてヒトに近いはずの猿は言葉を発することができない。この理由については様々な説があるようだが、ネット記事その他を参照する限りにおいて、私にとってどれも納得のいくものではなかった。

 言葉を操るための脳の機能が、ヒトという種に突然ぽんと湧いて出るように発生したというのは明らかに変だ。二足歩行することで自由になった手を使って、我々が様々な物を創り出す能力を手に入れたように、何かの能力を獲得するためにはその前段階としての機能があったはずだ。ヒトが猿から進化したのであれば、猿に言語能力につながる何らかの機能があったはずなのに、猿は単なる音だけでも「言葉」を発することができない。

 それで、ずいぶん前にツイッターで次のようにつぶやいた。
「ヒトが言語能力という聴覚能力を持っている以上、猿が聴覚面で退化しているとは考えられない。猿は実は『デアデビル』のように、音で空間を把握する能力を持っているのではないか。我々がその能力を失ったのは、言語能力にそのリソースを奪われたからである。」
※ 「デアデビル」とは、コウモリのように音で周囲の状況を視覚以上に認識する超能力を持ったアメコミヒーローの一人

 この「つぶやき」はつぶやいた時点では冗談のつもりだったのだが、『脳には妙なクセがある』を読んでいるうちに、すこしは脈のあることのような気がしてきた。これにはもう一つ長く消えない別の疑問があったこともある。

 聴覚イメージである言葉が視覚イメージと結びついて、現実認識の能力と情報伝達能力とをヒトに獲得させたのが疑いようのない事実だとしても、一体それらが結びつくきっかけは何だったのか。視覚が視覚、聴覚が聴覚、それぞれが脳内でニューロン群のループ反応によって脳の外の現実から切り離された自律反応を起こすというのならわかるが、明らかに異なる機能同士がつながり合うにはそれなりのきっかけがあったはずだ。そしてそれはヒトの前段階としての猿の時点で起こっていたはずだ。

 それで『脳には妙なクセがある』の引用部分から次のように考えた。
 
 猿は樹上で生活し、木から木へと飛び回っているうちに、風の音を聞き、木々のきしみや木の葉のざわめきを聴いて、それらの形状、それらの状態を把握する能力を発達させた。視線を向けることなく周囲の状況を一瞬のうちに把握し、視線を向けることなく隣の木に手を伸ばして飛び移る。それが、視覚イメージと聴覚イメージを強く脳内で結びつけ、言語獲得のきっかけを創り出した。
 猿は脳の容量の拡大によって鳥以上に視覚機能を発達させた。それによって視覚と聴覚とのバランスの取れた「空間把握能力」を獲得できたのではないか。


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