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2012年11月 5日 (月)

数覚とは何か?(THE NUMBER SENSE -HOW THE MIND CREATES MATHEMATICS-)

 そういう題名の本を読んだ。副題は「心が数を創り、操る仕組み」。

 大雑把に言えば、人は生まれつき数を認識する力を持っているという仮説に基づいて、それに関連する様々なエピソードを紹介した本である。

 我々は、目の前に並べられた物の数を、1から3までであれば瞬時に認識することができる。ところが3より大きな数については、認識するスピードが極端に落ちてくる。
 猿などの動物たちも、3までの数については、ある程度抽象概念としても認識できるが、それ以上になるととたんに認識の精度が落ちる。
 さらには、様々な文化によって使用されている文字としての「数字」が、3までは象形的な記号を用いているが、それ以上になると元の「数」とは全く異なる記号を用い始める。例えばⅤを基本としたその両側のⅣとⅥといった具合に。

 「1」「2」「3」は、特別な数だと筆者は言う。それらについての認識は、我々動物に先験的に与えられたものだと。

 さて、なにしろカテゴリ「時間意識戯言」の記事なのだから、ここで私が語ろうとする結論は一つである。
 すなわち、我々ヒトがものの数を認識する時、目の前に提示された物体の集団を分割しようとする操作の結果として「1つ」か「2つ」か「3つ」かを判断しているのではなく、複数の像が脳内でステレオグラム合成されて1つの像と認識可能かどうかを基準にして数を認識しているのだと。
 1つと判断する時は、目の前に並んだ像の1つが現在で、他の像が過去の残像と脳内処理されている。
 2つと判断する時は、目の前に並んだ像がどちらとも現在であり、残像ではないと脳内処理されている。
 3つ(以上)と判断する時は、目の前の像が最初から脳内でステレオグラム合成する必要がないほど多数であると処理されている。

 『数覚とは何か?』には、数が大きくなるほど我々はそれを認識するだけでなく、比較などの操作をすることにも時間がかかる点を述べている。また次のように述べて、「1」「2」「3」以外の数字の処理が、言語的になされていることを説明している。

「複雑な計算をするときには、ついつい数を声に出して言ってしまうものだ。算術を言葉にすることがいかに重要かと言うことは、アルファベットを声に出して唱えながら、同時に何かを計算してみるとわかる。やってごらんなさい。ひどく難しいことがよくわかるはずだ。なぜなら、声に出して言うと、大脳の言語生産システムがいっぱいになってしまい、暗算に必要な容量がなくなってしまうのである。」(P236)

 「1」「2」「3」だけが特別な数なのは、それが我々の現実認識のシステムそのものから来る認識だからである。

 余談ではあるが、執筆中の『時間認識という錯覚』にも書いているように、「現在」という瞬間は存在自体が矛盾をはらんでいる。「現在」には幅が全くないはずなのに、その中で「動き」が成立する。これは完全な論理矛盾であり、それを指摘した「ゼノンのパラドックス」は2500年に渡って本質的な意味では解かれていない。

 だが、「幅のない現在」は我々の脳の中には実在する。同じ刺激に反応し、およそ0.2秒間に渡って同質の活動電位を維持するクラスター状のニューロン群は、ストップモーションの「現在」の存在を可能にする。(その仮説のみが、我々に流れる時間の認識を可能にさせると、『時間認識という錯覚』で繰り返し述べてきた。)

 幅のない存在といえば、「数」はまさにそのような特徴を持っている。我々は、脳の中で自然に「数」を創り出している。それは我々の現実認識のあり方そのものである。したがって、「数」は我々の存在以前にあるものではない。我々の脳が生んだものであり、我々の認識のあり方そのものとも言うべきものである。

追記

 そういえば、「蛇の回転」の模様の一つひとつは、まさにこの記事の証明になっている。全く同じ形をした青と黄色の楕円形が、脳内で別の存在として認識される時は回転が止まり、青が現在で黄色が過去の残像として処理されている時に、それを「1つ」にステレオグラム合成しようとして回転が起きる。詳しい説明はこちら→『時間認識という錯覚

追追記

 そういえば、高校の国語の教科書でおなじみの『水の東西』という教材に、「『鹿おどし』は一定の間隔で音を立てて水の流れを遮ることで、かえって流れて止まないものの存在を人に意識させる。」といった記述があったが、あれはまさに人の認識のシステムそのものだよなあと。

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