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2012年12月11日 (火)

「のぼうの城」

 最初は漫画で読んだ。雑誌ビッグコミックスピリッツで連載されていた時に、読むともなく読んでいたが次第に引き込まれていった。

 これの主人公の面白いのは、戦国時代の武将のくせに、とにかくダメダメで、何にも取り柄がなくて、実はそれは世を忍ぶ仮の姿で…と思って読んでいたら、やっぱりダメダメなのだ。
 取り柄があるとしたら、ただプライドだけは人一倍強くて、悪くいえば単にわがままで、映画でも家来から「ガキかてめえは」と怒鳴られるほど、やっぱりダメダメなのだ。
 ところが、あまりにダメダメなので、家来も民衆も「まああの人なら仕方ないなあ」といってついてきてくれる。
 たったそれだけで、500人対2万人という劣勢を跳ね返して、秀吉の小田原攻めの際、唯一攻め落とされなかった城として、歴史に名を残すことになる。

 漫画を読んでも、原作を読んでも、この主人公は単に虚勢を張っているだけとしか思えない。それなのに面白い。ダメ殿様の代わりに大奮戦する家来達や、男勝りのヒロイン甲斐姫も、まあ魅力的といえば魅力的なのだが、それらを全部足してもちょっと違う感じだ。

 どちらかというと洋画好きなので、映画の方はどうしようかと迷っていたけど、ちょうど宮崎駿さん原作の「風の谷のナウシカ」の巨神兵を短編映画にしたものを見て、「日本映画やるじゃない」と思っていたので、ふらっと観に行くことにした。テレビ予告編で流れていた主題歌の「ズレてる方がいい」が気に入ったというのもある。

 主人公のダメダメ武将である成田長親を演じたのは狂言師の野村萬斎さんで、どんなふうに「(でく)のぼう」を演じるのかと思っていたら、のっけから動きが狂言なのだ。陰陽師に出演していた時と比べても明らかに演じ方が違う。つまり本職そのものに近い雰囲気で演じている。少なくとも私にはそう感じられた。

 原作を先に読んでいる時は、どうしてもその時のイメージと映画とを比べてしまうのだが、どう考えても特に漫画のイメージとは離れているはずなのに、なんの違和感もない。そればかりか、「300」ばりに派手な演出が施されている脇役達の大奮戦とのバランスが取れていさえする。なんだかミュージカルのようだ。ふと、原作は最初から野村萬斎さんを意識して書かれていたのではないかとさえ思う。

 それでふと気づいたのだが、主人公成田長親は、日本人そのものとして描かれているのではないかと。
 体力もなく、たいした知力もなく、ただクソ意地とプライドだけは人一倍で、そんな霞みたいなものだけを頼りにそれなりのことをやってしまう、謎な人々。

 そういえば、湖に点在する島を橋でつなげた「忍城」は、日本列島そのもののメタファーのような気さえする。

 野村萬斎さんがあの主人公を「狂言」そのものによって表現したのは、それが「秘すれば花」たる日本の精神そのものだからではないか。他者の視線という自らの運命と絶望的な戦いを続けながら、自分の心を「コミカルな動き」という極度に抑制された演技の中に閉じこめる。
 そういった我々の心の中の「古い記憶」こそが、「のぼうの城」のクリエイター達が造形したかった主人公像そのものだったのではないかと思う。

 いや元気をもらいましたよ。私もクソ意地だけが取り柄の人間なので。

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