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2013年3月25日 (月)

以前、第5章だったもの

 出版用に加筆修正する過程で、第5章を全面的に書き直すことにした。で、以前のやつを「熊男の住処」にアップしている『時間認識という錯覚』から削ってしまったので、一応記録としてこっちに残しておこうと思う。以下が削った文章全文である。(第5章第2項はエピローグとして再生予定)。


1「脳シミュレーター」への期待

 2500年もの間、本質的な意味では解かれることのなかった「ゼノンのパラドックス」は、現代の我々に人の認識というブラックボックスの中身をかいま見させてくれる。我々と我々を取り巻く「現実」との関係についてヒントを与えてくれる。
 前章「時間の本質」において、物理的な時間や数学的な時間にまで錯覚としての時間認識の影響が及んでいることを示し、それを観点とすることで多体問題など未解決の謎を解く可能性が生まれることについて述べた。本章においてはさらにいくつかの観点から「時間認識という錯覚」が開く扉について語っていく。

 日経サイエンス2011年9月号に「人工知能の意識を測る」という記事が載った。著者の一人は意識研究の分野で著名なカリフォルニア工科大学のクリストフ・コッホである。

「哲学者は長年、1つの問に関して考えをめぐらせてきた。神話に登場する人造人間ゴーレムのようなものであれ、箱に収められた機械であれ、何かを感じたり、経験したりする知的存在を作ることはできるだろうか?」(四八頁)

 人工知能を創造する試みは長年にわたって続けられてきた。第二次世界大戦においてドイツ軍が使用したエニグマ暗号を解読したことで有名になったアラン・チューリングは、人工知能を開発するための目安として「人間と区別がつかない応答をする機械を作れるか」という問を立てた。これが達成できているかどうかを測ったのがチューリングテストである。判定者である人間にコンピューターと会話をしてもらう。コンピューターからの応答が、プログラムなのか別の部屋にいる人間によるものなのか、判定者には知らされていない。それで上手く判定者をだますことができたプログラムをチューリングテストに合格したとする。
 しかし「人間と区別の付かない応答をする機械」が果たして知能を獲得したと言えるのかという問題が当然生じてくる。人間と全く同じ反応をして泣いたり笑ったりもするが、それは高度に組み上げられたプログラムによって外界からの刺激に対して定められた反応をしているだけだとする。そのような存在が知性を持っていると言えるだろうか。意識を研究する哲学者は思考実験としてこのような存在を哲学的ゾンビと呼んでいるらしい。
 哲学的ゾンビが生まれる背景には「意識とは何なのか」という謎がある。我々の心は外界からの刺激に対する受動的な反応という観点では説明し尽くせない。膨大な情報を検索処理することでチェス等の限定された状況では人に勝てるようになったコンピューターも、物体が宙に浮いているといった我々なら容易に非現実と判断できる情報をそれと認識することはできない。人工知能と我々の意識との間には決定的な隔たりがある。前出の日経サイエンスの記事に、近未来における人工知能のあり方について次のように記されている。

「その機械は自身の情報統合力に基づき、意識的に景色を認識するだろう。高レベルの統合を実現するには、哺乳類の脳の構造の原理を利用したものにならざるを得ないのではないかと私たちはみている。」(五三頁)

 右の引用内の「哺乳類の脳の構造の原理」こそが、本書の提示する「扉」の一つである。
 そもそも人工知能に対する情報の入力はどのようになされるのか。例えば目の前の風景を認識するとして、それが一枚のスナップ写真のような情報なのか、映像のように変化する情報なのかによっても、認識する現実が異なってくるはずだ。また変化する情報といっても現在という瞬間をどのように捉えるかによって、情報処理のあり方が異なってくる。現実の観測者である我々と同様の情報処理によって現実を捉える。すなわち、現在という瞬間を一定の幅を持って捉え、静止した物体と変化する物体とを見極める。そのためには膨大な量のデータ解析が必要になる。そのような多様で複雑な現実を情報処理するためには、言語もしくはそれに類するシステムによる情報量の大幅な圧縮が不可欠だろう。
 日経サイエンス2012年11月号の記事「脳丸ごとシミュレーター」に次のように記されている。

「それには、やはり人間の脳からヒントを得るのが近道だ。なにしろ人間の脳は、様々な知的機能をたったの20ワットかそこらで実現している。エクサフロップス級コンピューターの100万分の1にも満たない、小さな電球並みの消費電力だ。ここからヒントを得るには、遺伝子から脳全体の振る舞いまで、脳機構を様々なレベルで理解する必要がある。」(九二頁) 

 右に引用した記事「脳丸ごとシミュレーター」の内容も非常に興味深いものだ。著者ヘンリー・マークラムは、脳そのものをコンピューター上にシミュレートする巨大プロジェクトを指揮している。それに使われるコンピューターは、冬季に小さな町で使われる電力に相当するエネルギーを消費するほど巨大なものだ。またそのようなプロジェクトは一つではなく、それぞれが研究資金を獲得するために競い合っている。このプロジェクトによって生み出されるバーチャル脳は神経科学や医学、情報科学に変革をもたらすだろうと記されている。
 人工知能という概念さえ飛び越えてしまった脳シミュレーターは、意識とは何かという問に対して一つの答を指し示すにちがいない。「脳シミュレーターは、科学全体にとっての研究資源になるだろう。実験に用いる際は、世界最大級の望遠鏡のように使用時間枠の予約を取ることになる。」(九〇頁)とあるが、本書の枠組みからも様々な実験が想定できる。例えば、本書の基幹的な主張である、視覚情報に反応するニューロン群がループ反応しながらステレオグラム合成される様子を観察する。その前段階としてクラスター構造のニューロン群が0.2秒間の幅で同期発火する様子を確かめる。それらが複数のクラスターにまたがって連鎖反応的に引き起こされる様子を確認する。また言葉や音楽を構成する音素に反応するニューロン群が、外からの聴覚刺激に対して恒常的なループ反応を起こしている様子を観察する。さらには並立する複数の音素が組み合わさって言葉を創り出し、視覚イメージとつながり合う様子を確かめる。夢は尽きない。 

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