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2013年3月31日 (日)

ニュートン別冊『錯視と錯覚の科学』-「蛇の回転」についての確信-

 「蛇の回転」というのは立命館大学の北岡明佳さんが作った有名な錯視である。静止しているはずの単なる図柄がぐるぐる回る。なぜそのように見えるのかについてはいくつか仮説があるものの、まだ確定的なものはないらしい。

 本ブログでも以前に何度か紹介し、回転する理由についてあれこれ思いつきを書かせていただいている。以下のブログがそれだ。
→ 「錯視
→「蛇の回転の色のずれ
→「またまた蛇の回転

 それでこのブログをご覧になって下さっている方なら知っての通り、今夏7/16に刊行予定の本『時間認識という錯覚-2500年の謎を解く-』に、論の証拠となる重要な例の一つとして載せることにしてしまった。(作者の北岡明佳さんから掲載許可をいただいています。北岡明佳さん、ありがとうございました。)

 昨日、北岡明佳さんが監修なさっているニュートン別冊『錯視と錯覚の科学』を見かけたので迷わず買ってしまった。「蛇の回転」についての詳細な解説や、その他の様々な「錯視」が紹介されており、眺めるだけで楽しい時間を過ごすことができた。

 その中に、見開きの左と右にそれぞれ「蛇の回転」が並んで印刷されているページがあり、「順番をかえるだけで動いて見えなくなる」と説明がある。
 ほとんど同じ図柄のはずなのに、左のページの蛇は回転するが、右のページの蛇は全く回転しない。よく見ると右のページの「蛇」のまだら模様は「黄→黒→青」ではなく、「黄→黒→黄」か「青→黒→青」だ。ぱっと観ただけではほとんどデザイン的に見分けがつかないにもかかわらず、本物の「蛇」は回転し、偽物の「蛇」は回転しない。

 ただそれだけなら、休みの日の朝からこんなブログは書かなかっただろうが、左と右を見比べているうちにふと気づいたことがある。左のページの本物の「蛇の回転」は、全体に色彩がくすんでいるように見えるのだ。回転しない偽物の「蛇の回転」は、なんだか印刷された色彩が鮮やかに感じられる。
 全体を紙で覆って、ほんの一部分しか見えないようにして比較してみたが、印刷自体は間違いなく全く同じ色を使っているし、北岡明佳さんが何の理由もなく、比較のために並べている二つの「蛇の回転」の印刷インクを変えるようなことはしないはずだ。
 だが何度見比べてみても、本物の蛇は青い部分は黄色っぽく、黄色い部分は青っぽく、つまり全体として色が混ざり合ったようなくすんだ印象に見えるのだ。

 それで、ふと思いついた。

 回転する本物の「蛇」は、私が上記ブログに書いたように、「青」が現在の実像、「黄」が過去の残像として脳内で処理され、ステレオグラム合成されることで擬似的な「回転」を我々に感じさせている。脳内で合成されるのであれば、青が黄色っぽく、黄色が青っぽくなるのには何の不思議もない。むしろ、この回転する蛇と回転しない蛇の、あるはずのない色の違いが、回転する際に青と黄がステレオグラム合成を起こしていることの一つの証拠になるのではないかと。

 この『錯視と錯覚の科学』には、色に関する「錯視」も多数紹介されていて、そちらを読んでいたこともこの発想のきっかけとなっている。
 ここで紹介したページ(22~23頁)の解説に、「動く錯視がみえるしくみについては、現在も世界中で研究が進められています。たしかに錯視はみえているのに、そのしくみは謎に包まれている……この不思議の先にはどのような答えが待っているのでしょうか。」とある。

 実は『時間認識という錯覚』で説明した多くの「仮説」のなかで、「蛇の回転」に関する部分は、確信の度合いとしてそれほど上位にくるものではなかった。自信がないくせに勢いで書いたというのが本音だった。(まあ以前書いた記事が、Googleで検索上位に来ていたというのがいつものパターンで根拠のない自信につながっていたというのはあるのだが…Googleさんありがとう!)

 これでほぼ確信した。(当社比)

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「時間意識」戯言」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。happy01
興味深い内容、読ませていただきました。
本日、私めも『蛇の錯視』を題材にブログの記事にしてみたので、何かと参考になりまた。
http://cooolooo.holy.jp/hustle/?p=6825
ありがとうございました。

投稿: qooh | 2014年4月21日 (月) 10時13分

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