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2013年4月21日 (日)

「自分を知る」という新しい価値

 世の中はそう簡単には変わらないもんだ。これだけの人々が集まって、これだけの時間を経て、こういう社会ができあがっているんだから、それにはそれなりの必然性があるんだろう。

 だから「現代社会はこういう弱点を持っている」とか「こういう社会が理想だ」とかいう論議はそれなりに必要だとは思うけど、それそのものに意味があるかというと正直疑問だ。世の中はなるようにしかならないし、これからもなるようになっていくに違いない。

 我々は大きな価値が失われた時代に生きている。どんな美しげなスローガンも、その裏に個人だとか集団だとか国家だとかの利害が絡んでいることを誰しも知っている。誰しもそれを知っているということ自体が前提となった社会に生きている。

 だが確実に言えるのは、人は自分のことも他人のこともたいして知ってはいないということだ。社会心理学者のエーリッヒ・フロムは「人類は初めて自分が何者であるかについて考えざるを得ない時代にたどり着いた」と言っている。「大きな価値」が幻となって消え去り、自分一人になって初めて我々は「自分とは何か」について考えるようになった。これは喜ばしいことであるに違いない。

 そう。我々は(もちろん私自身も)自分のことなんてなーんにもわかっちゃいないのだ。なにしろ「意識」が何なのかさえわかっていない時代なんだから。高速道路や巨大建造物、IT機器に象徴される情報技術の発達が、まるで人が万能であるかのような錯覚を我々に与えているが、多分我々の文化なんて原始時代とほとんど大して変わっちゃいない。

 そんな原始人が、「大きな価値」を失って、つまり一人ひとり何をやっていいかわからないような状態にある。それが現代という時代の最大の特徴だ。
 いっそのこと「自分を知る」ということそのものを生きる目標にしてしまえばいい。学校でも「さー、みなさん。今日は自分についてどんなことがわかりましたか?」と、呼びかける。選挙の公約なんかも、「あなたが自分のことをよりよく理解できるように我々はこういう仕組みを提供しようと考えています」と人々に呼びかける。お母さんは子供に「今日は自分について何がわかった?」と呼びかける。科学者達は、「自分とは何か」について研究する。(あれ?これ、既にやっているはずですよね^^;)

 自分のことをどれくらい知っているかを、新しい「学力」として、入試の得点そのものにする。子供達は毎日せっせと自分を知るために勉強をし、思考力を高めるのだ。

 いや実は20年近く前から主張しているんですけどね。悪くないと思うけどなあ…(結構本気)


追記

 しかし、人が一人ひとりみんな自分のことを完全に知り尽くしてしまったら、それはみんな仙人になるということだから、それはそれでどうだかなあという感じだな。まあ、「自分」なんてそうそう簡単には知り尽くせるようなもんじゃないか…

追記

 「自分を知る」と言っても、「自分探し」とはちょっと違うので…。まあ説明すると長くなるので、暇な方は拙著『自己認識を促す国語教育の研究』でも読んでやって下さい。極端に言えば、今までと同じことを視点を変えてやるだけですね。ロジャースあたりも「自分が世界の中心であると認識すること」がカウンセリングの第一歩だとどこかで言っていたし…。まあそういうことです。

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