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2013年5月16日 (木)

加速系は慣性系で説明できる

 7/16に自費出版予定の変な本『時間認識という錯覚』に次のように書いた。

「『観測対象と観測者との関係が変化する』という記述が、『動き』に関する最も簡潔な表現だろう。つまり、部屋の中を飛び回る蠅という座標点と、座標ゼロとなる部屋の隅とは、その関係が変化しつつあるのであり、どちらが動いていると決めつけることはできない。蠅が部屋の隅から遠ざかるように見えるとき、蠅と部屋の隅とは同時に遠ざかり合っているのであり、蠅が部屋の隅に近づくように見えるときは、蠅と部屋の隅とは同時に近づき合っている。」(第4章第2項)

 上記は、「時間や物体の『動き』は人の認識の結果としてでしか存在しない」という屁理屈を説明するための核ともいうべき記述である。ところがこの理屈には弱点があった。それは加速系をどう捉えるかという点である。(といっても別にごまかしていたわけではなく、執筆中に気づいていなかっただけなのだが…)

 例えば自動車に乗って加速している最中、ドライバーの体にはその加速度に応じた負荷がかかる。だから加速しつつある物体は明らかに慣性系(静止系)とは異なる状態にあるのであり、真に「動き」と呼ぶのにふさわしいと一時は考えていた。

 しかし、それではどうも面白くない。先に述べたように『時間認識という錯覚』は、「動き」とそこから生まれる「時間」を、人の認識の範囲に押し込んでしまおうというのが主目的だったから、真の「動き」が存在するのでは例えそれが加速系という特殊な状態であっても、反証になってしまうのでなんだか格好がつかない。

 それで、物体の加速状態をあれこれ頭の中でひねくり回しているうちにふと思いついたことがある。

 当然のことながら加速は単体では起きない。(一見、物体単体で起きるように見える重力加速の話はまた別の機会にする)。『時間認識という錯覚』で、宇宙ロケットが宇宙空間を進む理屈について説明した。宇宙ロケットはロケットノズルから積載物を後方に高速で噴射することで前に進む。したがって加速とは、宇宙ロケットという一つの物体が、ロケット本体と無数の噴射物に不断に分裂しつつある過程とも言える。噴射物の粒子のひとかけらがノズルから飛び出した瞬間、ロケット本体とその噴射物とはもとの場所を基点としてそれぞれ逆方向のベクトルを持つ慣性系に変わる。それぞれが持っている運動エネルギーをベクトル合成すれば、噴射する前の状態と変わらないはずだ。
 つまり、加速とは一つの慣性系が次々に複数の異なる慣性系に分裂する過程に他ならない。慣性系同士がぶつかり合うタイプの加速であっても、同じように説明できるはずだ。

 加速系は、本質的に慣性系と変わらない。見かけが一つのものが複数になったり、見かけが複数のものが一つになったりする過程で、観測者によって「動いている(加速している)」と認識されるものに過ぎない。これもまた人の認識の結果として生まれてくるものである。 


追記
 
 微妙にもやもやっとしたところを残したままの見切り発車で書きました。まあメモ書きみたいな意味もあるので…^^; この量はツイッターでは無理ですから。

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