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2013年9月10日 (火)

相互主観(間主観)

 わたしゃ基本的に単なる物好きなので、自分が面白いと思うことを面白いと思える範囲内だけかじってそれでOKということがよくある。だから、検索ワード「記号論 現象学」とか「ソシュール 記号論」とか「国語教育 現象学」とかで、検索結果のかなり上位に拙宅「洞穴日記」とか「熊男の住処」とかが出てきて、実際にそれをたどって拙宅に訪れる人がいたりするけど、それらの領域を極めているわけでも何でもなく、「ノエマ?ノエシス?なんすかそれ?」といった感じで万事がいい加減なのだ。
 それでも、それらの領域のおいしい部分だけは理解しているというか、「ファン」と表現するのがぴったりくるような感じで、ファンにしか分からない部分もあるのではないかというような妙な自負もあったりする。

 その一つが、フッサール現象学の重要概念「相互主観(間主観)」である。

 拙著『時間認識という錯覚』の第五章は、専門用語は一切登場させていないものの、実は「相互主観」を私なりに解釈したものだ。

 例えば人が実際に身の回りの光景から感じ取っている色は、人それそれぞれで異なっているらしい。右目と左目でさえ異なっていることがある。(実際そういう人にあったことがある)。
 見えている世界が違うからといって、我々の共同生活、我々の社会が成り立たないかと言えばそういうわけではない。例えばある人には青に見えて、別の人には緑に見えている色があるとして、二人共がその色に対して「青」という言葉でそれを認識し、コミュニケーションの際も「青」という言葉を使うのなら、それで全く問題なく日常生活を送ることができるし、社会も成立する。

 つまり、人それぞれが感じている世界が異なっていても、それに対して共通認識さえあれば、それは客観的現実として機能する。それが「相互主観」である。そしてその機能の具体的な側面のほとんどを言語が担っている。

 例えば、年を取ると自分自身の時間の流れが緩やかになって、相対的に周囲の人々の動きや車のスピードなどが速く感じられるというのはよく聞く話だ。しかし、周囲の時間の流れが速く感じられるようになったというのは、自分の若い頃の感覚との違いが分かるからそのように感じられるのであって、もし子供の頃から人とは違う時間感覚の中で生きてきた人がいれば、その人は普通に社会生活を送り、自分の時間感覚が人とは異なっていることに最期まで気づくことはないだろう。

 で、拙著を読んで下さった方から「基準となる時間(物理的な時間)のスピードがもし2倍になったら、つまり今まで1時間だった時間が30分で過ぎ去るようになってしまったら、人はそれに気づくだろうか」という質問を受けた。もちろんそんなことはあり得ないことだが、質問者の興味は思考実験として「人がそれに気づくのか」というところにあるのだろう。

 私は、気づくと思う。

 年を取った人物が、自分の感覚が若い頃とは異なっていることに気づくように、「なんで時計の針が早く回っているんだ?」と気づくと思う。世界中の人々が同時に気づいて、変だなーと思いながら生活する。しかし物理的時間そのものが変化するということは、時間を計測するための機器の全てが2倍のスピードで動くということだから、つまり時間のスピードが2倍になったということを証明する手段が全くないことになる。それでみんなが変だ変だと思いながら生活しているうちに、その時間の流れに慣れて、また以前と全く変わりのない日々に戻り、時の流れが2倍になったという事実さえ忘れてしまうはずだ。

 私は「相互主観」をそのようなものだと認識している。真に学術的な(歴史学的なというべきか)意味までは分からないが、一人の現象学「ファン」としてそのように考えている。


追記

 人それぞれによってずれているかもしれない「現実」、今この瞬間にもずれつつあるかもしれない「現実」、これらをよりよく認識し、他者や現実とのよりよい関わり方を見出すために、「現実」そのものともいうべき「言葉」という存在を見つめ続ける作業こそ、「コミュニケーション」なんだと私は考えています。

追追記

 「基準となる時間のスピードが2倍になったらどうなるか」という話は、「基準となる時間」ということの定義にもよるんですよね。これを私は『時間認識という錯覚』を読んで下さっているという前提で、関係説的に「物体と物体の相対的な関係」という点のみの変化のスピードとして捉えて解釈しましたが、もしこの「基準となる時間」の定義をニューロンの発火時間とか発火タイミングとかにまで拡張して、それこそ世の中のありとあらゆるものが「2倍のスピード」になったとしたら、おそらく観測者の目には普通のスピードの時も、2倍のスピードの時も全く変化がないように映るはずです。
 

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