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2013年10月23日 (水)

0.2秒前の自分の声

 自分の職場で、地方国立大学と連携して、大学の講義を遠隔配信する事業をやっており、私はその連絡係をやっている。こちら側にもカメラがあって、こちらの生徒が寝ている様子がアクセスしている全ての高校に伝わってしまうという、なかなかおもしろいシステムを採用している。

 月一の実施で、大学の先生方が高校生向けに講義をしてくださる。高校生向けといってももともとは大学の実際の研究なので、機器の管理のために生徒につきあっている私にとっても、楽しんで視聴できる内容なのだ。

 先月実施した、工学部の教授の話が面白かった。講義のテーマは「音」だった。例えば人の声をコンピューターで解析すると様々な周波数で構成されているだとか、『時間認識という錯覚』の第三章に関連のあるような話ばかりで、私は生徒以上に身を乗り出して聞き入っていた。

 講義の最後あたりでこんな実験が紹介された。

 被験者にヘッドホンを装着してもらい、本を朗読してもらう。ヘッドホンからは、朗読する自分の声をマイクで拾って、0.2秒遅れで流す。0.2秒遅れの自分の声がヘッドホンから聞こえ始めたとたんに、被験者は皆表情が変わり、朗読する声を伸ばしたり止めたり、まともに声を出すことができなくなる。

 この実験は拙著の枠組みで簡単に説明できる。

 つまり、私たちは日常的に0.2秒間の幅で、外部からの音を「ステレオグラム」のように脳内で合成しながら生活している。それによって幅のないはずのこの「現在」という瞬間の中で、音の響きを感じ、音の流れを感じながら生きている。0.2秒の根拠は仮現運動の実験によって、時間差のある二つの光が移動する一つの光であるように感じられる感覚の、時間差の幅の長さの限界である。それ以上長く時間をおいて発光させると、二つの光は別々の光として認識されるわけだ。つまり0.2秒という幅は、脳内で音や光が合成されるかされないかの境目である。合成されなければそれらは二つとして認識され、合成されば一つが動いている(流れている)と認識される。

 さて、0.2秒遅れの自分の声を聞く実験において、おそらく脳の中では、合成されたりされなかったりがほんのちょっとしたタイミングの違いによって変化している。壊れかけでスイッチの接触が悪くなった電灯が、不規則についたり消えたりするようなものだ。ある瞬間には0.2秒遅れの声は本物の声の脳内残像と合成されて一つの声として認識され、ある瞬間には分離して別の声として認識される。0.2秒より幅が短ければ問題なく一つの声として聞こえ、0.2秒よりずっと幅が長ければ問題なくエコーのように別の声として聞こえるはずだ。そのちょうど中間の0.2秒のタイミングが、人の脳を混乱させて、朗読することさえままならない状態に被験者を陥らせるのである。

 この実験は、拙著『時間認識という錯覚』の基幹的仮定である「『今』と『過去』とのステレオグラム合成」を実証するものの一つになり得る。

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