« 小林秀雄 『無常ということ』の授業 | トップページ | 空間認識能力が時間認識能力より先と考えた方が自然だ。 »

2013年11月23日 (土)

「岩」と「しぶき」とどちらがかすれる?(白水の滝)

 拙著『時間認識という錯覚』で話題にしていた「白水の滝」に久しぶりにいってきました。今回はカメラを持っていきましたのであれこれ撮影してきました。

Photo_10


Photo_11


Photo_5


Photo_6


 さて、『時間認識という錯覚』で私は、次のように書いた。

「十メートル以上ある高さから落ちてくる水の塊は砕けながら流れ続け、一瞬もとどまることはない。それらの水の塊は視点を動かさずにぼんやりと眺めている時にはかすれて見える。ところが、落ちてくる水の動きに視線を同調させて上下に動かすと、水の塊の一つひとつがくっきりとした輪郭を持ち始める。まるで瞬間毎に空中に止まっているかのようだ。その代わり滝の背後の巨大な岩の数々が、強いかすれを伴いながら水しぶきの向こうで流れ始めた。」

 これのカメラ撮影にチャレンジしてみた。つまり、普通にしっかりカメラを固定した撮影と、しぶきの落下にカメラを同調させた撮影を比較してみようというわけだ。もちろん後者は手ぶれ覚悟である。(カメラを水流の落下スピードに合わせて動かしながら撮影ボタンを押すという、勘と運が頼りの撮影…。)


↓「通常の撮影」

Photo_16

↓「しぶきの落下に同調させた撮影」

Photo_15


 「通常の撮影」の方は、右半分の岩にくっきりピントが合い、左半分の水しぶきはかすれてしまっている。
 「しぶきの落下に同調させた撮影」の方は、左半分の水しぶきはくっきりとまではいかないものの、水玉などが形を保って撮影されている様子が分かると思う。それに比べて右半分の岩場はまるで「通常の撮影」の左半分のように「流れ」ている。まるで動いているのは岩場の方であるかのようだ。

 事物の「動き」を決定づけているのは観察者の視点である、とまあそう言いたいわけだが。

 いや、適当に撮影した割にはまあうまくいった方だと思う…


追記

 比較した二つの写真は、特徴が明確になるようにコントラストと明るさ等をほんの少し調整していますが、それ以上の小細工はしていません。
 撮影自体はオートをストロボカットでそのまま使いました。谷間の暗さでシャッター開放時間が自然に長くなり、ほどよい「かすれ」が演出できたみたいです。確認はしていないけど、たぶん開放時間は10分の1秒ぐらい。
 人の感じる「時間の幅」も同じぐらいのはずですよね。10分の1秒。
 


|

« 小林秀雄 『無常ということ』の授業 | トップページ | 空間認識能力が時間認識能力より先と考えた方が自然だ。 »

「時間意識」戯言」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 小林秀雄 『無常ということ』の授業 | トップページ | 空間認識能力が時間認識能力より先と考えた方が自然だ。 »