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2013年12月12日 (木)

「対称性の自発的な破れ」と「人の世」

 本ブログの「量子シリーズ」で、ノーベル賞受賞者南部陽一郎さんの論である「対称性の自発的な破れ」について書いた。
 大栗博司さんの『強い力と弱い力 ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く』(幻冬舎新書)を読んで、この「対称性の自発的な破れ」について初めて理解できた時、この考え方はいろいろなことに応用できるなあと感じた。

 パラダイムについて言及することなく、不用意に特定領域の用語を別の領域の論説に組み込むのは危険だ。その言葉は、その領域のパラダイムの範囲でのみ機能するものかも知れない。特に量子論などといった日常的とは言い難い分野の用語であればなおさらであろう。

 ソーカル事件を知っているだろうか。ソーカルという人物が、数学や科学の言葉を全くでたらめに、それでいてまるで筋道整った論文であるかのように書いた「偽論文」をとある論文誌に送ったところ、その論文は査読を通過してその「権威ある」論文誌に掲載され、その直後にソーカルがその論文が最初からでたらめな内容であったことを公表したために大騒ぎになってしまったという事件だ。

 私がこのブログで語っていることはそもそもが戯言であり、戯言の一部が暴走して『時間認識という錯覚』という本として実体化してしまったが、まあ大半はやはり戯言であり、論者自身もそれを自覚している。
 だが「数学や科学の言葉」は時として、それとは何の関わりもないはずの事象を-比喩的にではあるが-的確に表すことがある。

 そのような意味で「対称性の自発的破れ」は「人の世」のありさまそのものだなあと。(ここまで前振り…^^;)

 カルテックの教授である大栗博司さんの、「体育館の中での首振り」の例えが見事だったということもある。世の中の人の営みの全ては、まさに「対称性の自発的破れ」だなあと思う。

 矛盾したまま乱立する様々な「ルール」、人の数だけ存在する個人それぞれの考え方、ある動作が成立する際にそれを妨げるように働く他の動作、説明するまでもなくこの世は矛盾で満ちている。そして、そのような矛盾の中で「究極の選択」を迫られた時、単独の問題であれば躊躇することなく肯定していたであろう選択を、「矛盾」故に先送りにし、否定し、時には忘れたふりをしてごまかす。それは無限の部屋に満員の客を抱えたホテルが、無限の客の一人ひとりをとなりの部屋に移すことで、新しい客のための部屋を確保する「ヒルベルトホテル」のようなものだ。

 しかし、それが自然な姿なのかも知れないとも思う。

 集められた体育館の中で、ばらばらな方向を向いているだけでは動物と変わらない。かといって、全員が同じ方向を向いているだけでは人間性に欠ける。だからといってその中で一人だけが違う方向を向くのも精神的に大変だ。

 そんな時、誰かが体育館のあちこちでほんの少し首を傾ける。そのくらいならできるし、人はそうせずにはいられない。そしてそれがさざ波のように体育館全体に伝わって、寄せては返し、寄せては返す。

 人の世はそもそもがそういった「対称性の自発的破れ」によって成立しているのだと、最近何故だか強く思う。

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