« 「対称性の自発的な破れ」と「人の世」 | トップページ | 『舞姫』 »

2014年1月27日 (月)

「ライフ・オブ・パイ」

 映画評というより、映画を観て連想したことだ。鑑賞文と呼ぶべきか。

 映画の「ライフ・オブ・パイ」は、アカデミー賞を何部門か取っただけあってなかなかの作品だが、ちょいとストーリー的にやり過ぎている部分があって(観ればすぐ分かるが)、私にとってはそれほどお勧めというほどではなかった。

 しかし、獰猛な虎と漂流するという設定は、それだけで十分にブログ化する価値があると思ったからこれを書いている。

 つまり人生は獰猛な虎と漂流するようなものだと。目的もなく孤独に漂流するだけでは耐えられなかった心も、獰猛な虎がいたからこそそれを乗り越えることができた。

 「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉が好きだ。(前にも書いたが)。

 デンゼル・ワシントンが主演した『フライト』という作品の話を前に書いた。(もうネタバラシは時効だろうと思うので内容も書いてしまう)。主人公の民間航空のパイロットは、救いようのないほど絶望的な人生を送っていた。彼は「絶望的状況」に慣れ、「絶望」に対して感覚的に麻痺してしまっていた。それ故に、自分が操縦する航空機が整備不良でコントロール不能に陥った時、ベテランパイロットの10人に1人も回避できないような危機的状況にあって、毛ほども心を揺らされず、奇跡の操縦によって多くの乗客を生還させる。しかし物語が進むにつれ、この「奇跡」が単に序章に過ぎなかったということが明らかになっていく。

 「禍」と「福」はくるくる回って転がり続け、どちらが表に出ているとも分からない。人生の最後がどちらに落ち着くのかも分からない。ひょっとしたら、いやひょっとしなくても「禍」と「福」は一つのものの別の側面に過ぎないのだろう。獰猛な虎と漂流することで絶望的な状況でも生き続けることができるように。


追記

 つまりこれは「背水の陣」なんだよね。あの戦いが特に人々の心に記憶されたのは、戦い自体の見事さだけではないだろうな。なにかそれが、別のものの「本質」と共鳴していなければ、歴史に残ったりしないはずだ。

|

« 「対称性の自発的な破れ」と「人の世」 | トップページ | 『舞姫』 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「対称性の自発的な破れ」と「人の世」 | トップページ | 『舞姫』 »