« 「陽子と中性子は同じ物の別の側面に過ぎない」-NHKスペシャル「神の数式」 完全版 第一回- | トップページ | 「ゼロ・グラビティ(GRAVITY)」 »

2014年2月14日 (金)

「クラウド アトラス」

 「時間や現実は我々の認識の結果としてでしか存在しない。」 
 "Time and reality exist only as a result of our recognition."

 拙著『時間認識という錯覚』で私は上記のような戯言結論を書いている。

 世界は我々一人ひとりが協力し合って、互いの心の中に作り上げた巨大な物語だ。そしてそのような巨大な物語の中に、我々一人ひとりの小さな物語がひしめき合っている。
 それらの物語は、時には互いに反発し合い、時には打ち消しあい、しかしこの「世界」という大きな物語の中でさまざまなつながりを持って存在している。

 小林秀雄は『無常ということ』のなかで「過去から現在に続く飴のようにのびた時間など存在しない」と言っている。「現実」は、幅のない「今」という瞬間における、絶えることない無常の時の流れの中にある。過去から現在に至る全ての人々が、今、この瞬間の「現実」を生きている。ある瞬間、他者の「現実」と自分の「現実」とがつながりあって数百年の時を超え、平安時代のなま女房の鼓の音や、遠い未来の交響楽が聞こえたりする。

 全ての人々の小さな物語は浮かんでは消え、また浮かんでは消える。そしてそれら全ての物語が時を超え空間を超えて、大きな物語に影響を与える。罪も優しさも憎しみも愛も、全てが大きな物語の中にとけ込んで、我々の認識する「現実」を創り出す。人類最古の言葉は物語であったはずだ。我々は我々自身が創り出す物語の中に住んでいるのだから。

 その意味を積極的に見つめるべき時がいつか来るような気がする。『クラウド アトラス』や『ワンス アポン ア タイム』を鑑賞していると、もう既にその時が来ているようにも思う。

 論理?論理は物語の一部に過ぎない。数学同様、現実を測る上での良くできたツールではあるが。その限界を知った上で使うべきだろう。ひょっとしてその瑕疵をむしろ意識的に利用している?まさかね。

|

« 「陽子と中性子は同じ物の別の側面に過ぎない」-NHKスペシャル「神の数式」 完全版 第一回- | トップページ | 「ゼロ・グラビティ(GRAVITY)」 »

「時間意識」戯言」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「陽子と中性子は同じ物の別の側面に過ぎない」-NHKスペシャル「神の数式」 完全版 第一回- | トップページ | 「ゼロ・グラビティ(GRAVITY)」 »