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2014年5月 5日 (月)

ニュートン別冊『絵解きパラドックス』 -無限級数の収束は「2=1」を導いてしまう!?-

 副題は「思考の迷宮-奥深き逆説の世界」。

 「パラドックス」というキーワードがあるなら「ゼノンのパラドックス」も出てくるだろうと思って手に取ったら、やっぱり出ていたのでそのままレジに持っていった。

 自分が出版している本に書いている話題であり、知り尽くしているはずの情報なのにと思うだろうが、最新の書籍でどのように扱われているか、どのような言い回しで説明されているかによって、その書籍に関わっている方の考え方を知ることができると考えるからだ。(自分の車の話題が載っている本を買う人物の「マイカー愛」みたいなものかもしれないが…)

 非常に興味深かった。「ゼノンのパラドックス」は本の後半の「無限のパラドックス」という章に登場するのだが、以下の五つの話題で構成されている。

「2=1」の”証明”?
ゼノンのパラドックス
ガリレオのパラドックス
ヒルベルトの無限ホテル
トムソンのランプ

 どのページの内容も非常に面白いのだが、最も興味深いのはそのページ構成である。最初の話題「『2=1』の”証明”?」の結論と「ゼノンのパラドックス」の結論が矛盾しているように感じられるのだ。

 最初に登場する「『2=1』の”証明”?」の内容を大雑把に説明するなら以下のような感じか。

 正三角形の二辺の長さを足せば、残りの一辺の長さの二倍になる。小学生にでもわかる理屈だ。最初の二辺を残りの一辺に向かって長さそのままで折りたたむ。長さがそのままだから折りたたんだ二辺の長さの合計はやはり残りの一辺の二倍だ。それを無限に繰り返すと最初の二辺は無限に折りたたまれてくっついて一本の線になってしまう。
21

 折りたたむという操作自体は元の線の長さを増減させないはずだから、元の二辺と残りの一辺が等しくなってしまう、つまり無限の操作によって「2=1」が成立してしまう。

 この結論に対してこの本には次のような解説がなされている。
「これは、『無限の操作をくりかえせば、折れ線が直線ACと等しくなる』という論理に誤りがある疑似パラドックスだ。」(P126)
 上記の解説は、「無限の操作を行っても一定の数値には収束していかない」と言い換えることが出来るはずだ。
 数式にするなら 1-1/2-1/4-1/8-1/16-1/32…≠0 か。

 さて、この説明そのものには誰でもなるほどなあと納得させられてしまうだろうが、その次の話題が「ゼノンのパラドックス」であり、そこでは「無限の操作が一定の数値に収束していく」という、おなじみの結論が紹介されている。
 数式にするなら 1-1/2-1/4-1/8-1/16-1/32…=0 か。

 もし「無限の操作」によって一定の数値に「収束」していかないというのであれば、アキレスは永遠に亀に追いつけないということになってしまう。

 したがって我々は、無限の操作が「2=1」という状況を創り出すことを認める代わりにアキレスを亀に追いつかせるか、無限の操作によっても永遠に「2」は「2」のままであり続けることを認める代わりにアキレスが永遠に亀に追いつかないことを納得するか、究極の選択を迫られることになる。

 もちろん最後に、「無限の操作」という考え方そのものが存在し得ないことを認めてしまうというもう一つの選択肢も残されているのだが。(それはつまり「数学の虚構性」を認めてしまうということになるのだけれど…)

追記

 私が興味深く感じるのは、明らかに異なる結論に導かれているはずの内容が、まるでどこにも矛盾が無いかのように同じ章の連続した内容として語られている点です。こういう「とぼけてみせているような」書き方は科学雑誌とかで結構見かけるような気がしますが、数学の背理法の一種のような気もします。「矛盾しているだろ、矛盾に気づけよ」と暗に訴えているのではないかと。

※「アキレスと亀」については拙著においても大きく扱っているのでこちらをご覧になっていただけるとうれしいです。まああの本の内容ですから、一般的な視点で書かれた物ではありませんけどね ^^; → 『時間認識という錯覚』

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コメント

>「これは、『無限の操作をくりかえせば、折れ線が直線ACと等しくなる』という論理に誤りがある疑似パラドックスだ。」(P126)
>上記の解説は、「無限の操作を行っても一定の数値には収束していかない」と言い換えることが出来るはずだ。

ここに誤解があると思われます。

折れ線は直線ACに収束する。これは正しいです。数学の言葉を使えば、「折れ線は直線ACに各点収束する」とか「折れ線は直線ACに一様収束する」とか言うことができます。
が、このことから直ちに「折れ線長さの極限と直線ACの長さが等しい」ことは導かれません。
「極限を取る操作」と「長さを求める計算」は一般には順序の入れ替えができないからです。
この例だと、極限をとってから長さを計算すれば1となり、長さを計算してから極限をとれば2になる、ということになります。

(なぜ入れ替えられないんだ、そこがパラドックスだ!と言われれば確かにそうかもしれません。実際、こういう計算をするときはこの手のミスをしないように十分に気を付ける必要があります。入れ替えを行う条件を示した定理がいろいろあったりもします。)

投稿: 昔数学を学んだ人 | 2015年3月 3日 (火) 22時40分

コメントありがとうございます。
おっしゃりたいことはよく分かります。
「なぜ入れ替えられないんだ、そこがパラドックスだ!」なんて、つっこみどころまで代弁してくださって、つっこみようもありません。
私のブログは基本「戯言」ですのが、自分の「直感」はいつも大事にしたいとは思っています。この記事の直前の記事の「数学という虚構」あたり読んで下さると、私がどんな点に関心があるのか分かって下さるのではないかと思います(こっそり宣伝ですが^^;)

投稿: 熊男 | 2015年3月 3日 (火) 23時05分

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