« 『現実を読み解くための国語教育-記号論・現象学を観点として-』 | トップページ | 『水の東西』と無限級数の収束 »

2014年6月21日 (土)

心の中の湖

 このブログをはじめた頃(2006.8)には、この表現を何度か使っていたような気がする。
 私は意識的に自分の心を機能させようとする時に、心の中に「湖」が広がっている様子をイメージする。漫画の「シッタカブッタ」の中に、そういうのがあったのかも知れない。

 最近第三シリーズがNHKで放映された「シャーロック」で、無限の記憶を保管する場所の脳内イメージとして「精神の宮殿」という表現が使われていた。知識を記憶させる際、心の中に本物の図書館のようなイメージを創り出し、その中の戸棚の一つにしまいこむようにすると、より効果的に記憶すべきデータを脳に刻み込み、取り出すことも可能になるというものだ。私の「心の中の湖」というのもそれに似ているかも知れない。

 難解な文章などを読む際、私は文章の中の言葉の一つひとつを自分の「心の湖」に投げ込むイメージを持つ。もちろん比喩的な意味でではあるのだが、ある程度は実際にイメージしていると思う。
 そして、その文章を読み終わるまで、可能な限り多くの言葉を心の湖にぷかぷか浮かばせて、言葉の一部分が湖の表面にちらちら頭をのぞかせているような状態を保つ。一つの言葉に集中しすぎると、他の言葉が湖の底に沈んでしまうから、肩の力を抜いて出来るだけ全ての言葉に均等に自分の注意が行き届くようにする。

 その状態でしばらくそっとしておくと、言葉はそれぞれ揺れたり流れたりして、くっついたりぶつかり合って離れていったりと勝手に動き始める。そして私自身は、それらの言葉の動きを出来るだけ邪魔しないようにして、言葉それぞれがつながり合うのを待つ。言葉が多くつながればつながるほど、読んでいる文章のイメージがくっきりと鮮明になっていく。その文章の構造が立体的にさえ見えてくる。

 前にこのブログで、「言葉は樹上で生活する動物の風を読む空間認識力から生まれたのではないか」と書いて、拙著『時間認識という錯覚』でもそれをネタにした。「心の湖」の表面で、たくさんの言葉がぷかぷか浮かんでいる様子は、まさに空間的である。

 思考を効果的に働かせるための手法として、キーワードカードをランダムに動かして偶然のつながりを生み出すKJ法や、多数の参加者のランダムな意見の偶然のつながりを生み出すブレインストーミングがあるが、「心の湖」はそれを一人でやるようなものと言えるかも知れない。脳内KJ法、脳内ブレインストーミングとでも言うべきか。

 大体人は、単純なものを好むものだ。自分の行動だけでなく、他者とのつながりさえ単純化し様式化する。そうすると、見かけ上スマートになる。見かけ上コミュニケーション能力が上がったような気分になる。しかし、そのような手法によって獲得された「能力」が、複雑な人間関係や、不測の事態に対応する機能を持てるだろうか。「流れて止まないもの」を見つめ、複雑な物事を複雑なまま理解し受け止める能力こそ、現代みたいな世の中には必要だろう。

 論理構造も構文も投げ捨てて、ただ言葉を「心の湖」に投げ込んでぶかぶか浮かばせる。そうすると自分自身がなんだか情報の海の中を優雅に泳いでいるような気分にもなる。それは現代人の思考「様式」として悪くないと思うし、なにより結構快感なのでそういう意味でもお勧めである。

追記

 テニスで、特に強烈なサーブを打ってくる相手と試合する時にも、これとちょっと似た心理状態になる。複数のサーブの軌道とスピードと、それに対処する自分の何パターンもの身体イメージが、重なり合って同時存在している感じ。それらは同じ場所に重なり合っているわけではなくて、立体的に私の体の周囲に配置されている。そして私自身は肩の力を抜いて、ラケットをぶらぶらさせて完全なニュートラルな状態で、本物のボールが飛んでくるまでそれらのイメージを保つ。

|

« 『現実を読み解くための国語教育-記号論・現象学を観点として-』 | トップページ | 『水の東西』と無限級数の収束 »

『現実を読み解くための国語教育-記号論・現象学を観点として-』」カテゴリの記事

修士論文「『自己認識』を促す国語教育の研究」戯言解説」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 『現実を読み解くための国語教育-記号論・現象学を観点として-』 | トップページ | 『水の東西』と無限級数の収束 »