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2014年7月28日 (月)

『水の東西』と無限級数の収束

 「水の東西」は高校の国語の教科書教材の定番であり、「羅生門」ほどではないが様々な教科書で採用されている。

 大雑把に言えば、日本は時の流れのような形のないものをありのまま受け止める文化を持ち、反対に西洋は流れるものに彫刻のように形を与え空間に静止させてしまう文化を持つ、といったことを論じた文章である。

 この仕事を四半世紀以上も続けているので、何度実施したかわからないぐらいに繰り返し授業してきた。
 同じ教材を何度も教えていると、教材に対する自分自身の解釈が変化してしまうこともある。当然それに伴って教え方も変わってくる。
 もちろん解釈が変わるといっても、書かれている言葉をありのまま受け止めることには変わりはないので、授業の目標がそんなに変わってしまうことはないのだが、一番影響を受けるのは本文へのアプローチの仕方だ。特に学習者の読解を補助する目的で行う、授業の合間の「無駄話」。

 今回の授業の無駄話は、なんと「無限級数の収束」をやらかしてしまった。

 西洋の噴水が、流れる水が空間に静止しているかのように、バロック彫刻のように、「造形」されるのは、無限級数が一定の数値に収束することと文化背景が共通しているのだと。つまり、曖昧な要素を切り捨てて、そのままではつかみどころのない「形のない現実」に可塑性を与えたのが、現代社会の発展を支えてきた西洋の近代文明であると。そしてそれがほころびつつある例として、「多体問題」の話までしてしまった。私物のiPadを持ち込んで、「二重振り子」のYouTube映像まで見せてしまった。

 いや茨木のり子さんも、「教師はその教材への思いをありったけ生徒に語るのがよい」なんておっしゃっていたし、夏休み前だし、多少の脱線もOKかなと…^^;

 いや、『水の東西』は、最初からそのつもりで書かれたんじゃないかと、山崎正和さんに確かめてみたい気もする。いや冗談ですよ。

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