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2014年9月20日 (土)

量子とは何か(8)-純粋に単体の存在において時間は流れているか?-

 このブログカテゴリ「量子シリーズ」においては私は、「量子の正体は真球構造を持つ球状の波ではないか」と語ってきた。真球構造であるなら、絶対空間と対決する必要が無くなるからである。つまりその存在がどちらを向いているか、何に対してどのような「回転」をしているかという問題と対決する必要がなくなるからである。

 さらに次のように考えた。

 もし量子が本当に真球構造を持つ球状の波であり、半永久的に対称性を保った振動を繰り返すのであれば、その存在においては時間が流れているといえるだろうか、という疑問である。

 拙著『時間認識という錯覚』において私は、「観測者による観測を経ない純粋に客観的な存在は、言わば無限の視点によって捉えられているようなものであり、この時全ての物体は止まっている」と述べた。つまり「動き」は物体相互の関係によって作られる相対的なものであり、物体それぞれの属性ではないということだ。
 だが、それだけでは物体個々のレベルで果たして時間は流れているのかいないのかという問題が残ってしまう。あの本を執筆した当時からそれに気づいてはいたが、問題を保留したまま気づかないふりをしていた。しかし、これで一つの結論が出たように思う。

 もし量子が真球構造を持つ球状の波であり、半永久的に対称性を保った振動を繰り返すのであれば、その存在ははたして「変化している」といえるだろうか。
 どの角度から観察しても、どの瞬間を捉えても本質的な変化が見られない存在において、「時間が流れている」といえるだろうか。

 これでほぼ確信した。時間は存在しない。時間は物体相互の関係を脳内で「流れ」に変換する能力を持った我々ヒト(もしくは同じ脳機能を持つ他の様々な動物)にとってのみ存在する。


追記

 現在執筆中の『現実を読み解くための国語教育』が書き終わったら、ネット限定記事『時間認識という錯覚 第六章 量子とは何か(仮題)』の執筆に入る予定です。もちろん英訳もします。『時間認識~』の改訂版が出るなんてことがあったら、増補しましょう。まあたぶんそんなこたあないですが…^^;

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