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2014年12月11日 (木)

SF小説(その3)「慣性質量ゼロ」の宇宙船は加速しながら自由落下する

 いつものSF小説である。

 この「量子シリーズ」の前回の記事で私は、球状の波が収縮した状態で「対称性の自発的破れ」を起こした通常物質と、球状の波が伸張した状態で「対称性の自発的破れ」を起こした反重力物質を組み合わせて作った構造物は、見かけ上「慣性質量ゼロ」になるはずだと戯言(SF)を書いた。

 さて、この構造物を基にして宇宙船を造るとして、それに人間を乗せたらどうなるか。

 見かけ上「慣性質量ゼロ」の物体は、理屈上、ほんのわずかな推力で無限に近い加速をするはずだ。加速する時の抵抗となる「質量」が無いわけだから、その宇宙船を押し出す推進剤(例えば燃料の爆発)と同じ速度に瞬時に加速する。
 単純に考えれば、そのような加速力を持つ宇宙船に搭乗する人間は、出発した瞬間にギャグマンガのようにぺったんこになってしまうはずだが、「慣性質量ゼロ」の宇宙船ではそうはならない。理屈の上では、例え無限に近い加速をしても、自由落下している状態と変わらないはずだ。

 前回の記事で説明したように、「慣性質量ゼロ」状態は、通常物質の周囲の「疎」の空間と、反重力物質の周囲の「密」の空間が、逆位相的に重なり合うことで、通常空間と同等の状態を創り出すため、加速の際の抵抗がなくなるという仮説だ。そのようなまるでそこに物質が存在しないかのような「擬似的通常空間」は、単に通常物質と反重力物質を組み合わせた構造物そのものに作用するだけでなく、それに隣接する物質にも作用するはずだ。

 つまり、「慣性質量ゼロ」の宇宙船に搭乗する人間の体そのものの慣性質量も限りなくゼロに近づく。逆にもし、宇宙船がそれ自体でぴったり「慣性質量ゼロ」に調整されていたとすると、そこに入り込んだ人間という通常物質の「質量」の分だけ、宇宙船を含む全体が「慣性質量」を獲得することになる。人間を含む宇宙船全体が、「慣性質量」を創り出す構成メンバーに属すわけだ。

 もし、人間を含む「宇宙船」という構造体が全体として「慣性質量ゼロ」に調整されていたとしたら、その宇宙船はほんのわずかな推力で無限に近い加速力を保ちながら、構造物には一切の加速の際の抵抗が発生しない。加速の際の抵抗は周囲の「疎」の空間が物質から引きはがされる時に起こる現象だから、周囲に「擬似的な通常空間」をまとった「慣性質量ゼロ」の構造体は、どのような加速でも周囲の空間の状態を一定に保ち続け、はぎ取られる何も最初から存在しないからだ。

 つまり、宇宙船は中に人を乗せたまま、まるで自由落下しているかのように、すさまじい勢いで加速していくことになる。(※ SFです)


追記

 もし、同様の仕組みで、慣性質量を減少させたテニスラケットを作ったら、そのラケットは単にスイングスピードを高めるだけでなく、インパクトの瞬間に打とうとするボール自体の慣性質量を一時的に減少させて、通常状態をはるかに超えた加速力でボールを打ち出す魔法のラケットになる(はずだ)。 ※SFです


追追記

 もし、搭乗員を含む宇宙船全体の慣性質量が通常の100分の1に調整されていたとしたら、100Gかかるような加速力でも人体には1Gしかかからないことになる。
 さらにはその宇宙船が巨大になればなるほど、搭乗員の乗り降り程度での慣性質量の変化が少なくなる。つまり巨大な方が安定するという、常識とは全く反対の構造体になるはず。

追追追記

 「無限の加速」なんて表現を使ったので、それは現実にはあり得ないと誰でも思うだろうけど、通常物質と反重力物質をどのように組み合わせても、その中心点及び構造を完全に同一にすることは出来ないので(同一になるとは完全に重なり合うことを意味するから)、例え理屈の上の話であっても、完全な意味での「慣性質量ゼロ」の構造体を作ることなど不可能なのね。だから「無限の加速」なんて状態はあり得ず、「無限」という概念と対決する必要もない。つまり、この「SF小説」は、まだそれ自体の背理になることを免れていると考えるが、いかに。

 慣性質量を限りなくゼロに近づけることは出来るだろうけど…。

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